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中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2015年3月14日土曜日

美しき太極拳女子を応援します-03

最近、トマホーク(手斧)が気になっております。もともとの発祥はベトナム戦争で米軍が使用したことが契機のようです。
海外ではCQC(近接格闘)などが中心となり、日本でもようやく知られてきた感じがあります。


中国武術では鴛鴦鉞(えんおうえつ)などがありますが、あれは握り斧って感じですか。
日本の武術ではほとんど見かけません。本来的には武器ではありませんしね。
でも、白土三平の描く忍者漫画にはかならず出てくるんです。特に「ワタリ」とか有名ですね。




斧と云えば「マキ割り」が思い浮かぶと思います。
パカパカと割っていくのは大変なストレス解消になりますね。筋トレとしてのイメージもまたありますが、
筋肉を使ってではなく、斧の重さを利用するのが疲労も少なく効率的で好ましいようです。










さて、本題。
書店などではさまざまなトレーニングにかんする本がありますね。
腹を引っ込めるのは永遠のテーマとなっておりますが、ここ数年で増えてきたように思うのは「体幹トレーニング」とか、
「道具は要らない!自重を使う訓練法」とかありますが、太極拳ではとっくの昔に・・・というより、ごく当たり前のことです。


逆に体幹やインナーマッスルに関わらない基礎練習があったかな?というレベルです。
とうぜん太極拳の型を低い姿勢でするのもかなりの体幹トレーニングです。






体幹筋(たいかんきん、羅名: musculi trunci)は広義の骨格筋のうち、体幹に属する筋肉を総称したものである。
体幹筋は前体幹筋(主な一例腹直筋、腹横筋、腹斜筋、大胸筋)と後体幹筋(後背筋、脊柱起立筋、僧帽筋)に分けられる。
体幹筋に対して、上肢、下肢に属する筋肉を体肢筋と呼ぶ。略して体幹とも呼ばれる。
BIG3ではベンチプレスで胸部、デッドリフト、スクワットで背中を鍛えることができる。


体幹筋 wikiより抜粋




体幹は胴体の曲げ伸ばしのほか、姿勢を保ち、体全体のバランスをとる役割を担っています。
そしてもっとも大事な呼吸の役割もあります。

このように体を支える為の最も重要な筋肉ですので逆に体幹が弱すぎると、姿勢が悪くなったり、腰が曲がったり、
物を持ったときにギックリ腰になったり、といった具合に生活に支障をきたします。
また呼吸も浅くなり、循環も悪くなってしまいます。

怪我や体調不良を避ける為にも、体幹は強いほうが良いです。
特に女性は筋量が多い方が美容だけでなく健康上からも好ましいと思います。




ただ、太極拳では特定の部位を鍛えるという考え方ではなく、型や様々な姿勢、
歩き方における「動作」に関連した方法が主流になっています。
何よりも呼吸に携わる筋肉をもっとも重要視しています。横隔膜が筋肉痛になったりしたら、
むしろ喜ばしいことかもしれませんね。

フィットネス風にいうと「スロートレーニング」でしょうか。
ゆっくり動くのは決して高齢者向けのためでも、わかりやすいためでもなく、ただただトレーニングのためなんですね。

そしてトレーニングに終始することなく、ある程度下地ができれば、次は調身や調息に移っていきます。
心と身体、そして呼吸の三者を整えていく行程です。
太極拳がただの運動に終わらないということですね。





春からチャレンジしてみたい方、見学・体験も受け付けています。


2015年3月12日木曜日

周辺視

周辺視の練習をしている時ってどんな顔をしているのかと思って手鏡を見たら、自分でもびっくりするくらい目つきが悪くなってました。



こ、こんな顔で教室や他所の勉強会とか参加したのだとしたら・・・あわわ。

私がムーっとした顔つきをしている時は、周辺視の心がけや練習をしているんだと思ってください。


※周辺視=人相が悪くなるということはありません。
私の場合は元々の目つきがアレなんで(汗)。




周辺視がある程度できるようになると、老眼や首、肩こりの軽減になりますので、
練習しております。




私もそうですが、周辺視が多くの人に難しいのには理由があります。
視覚依存率8割以上の日常生活、人間社会では、切り替えろというのも無理な話です。
そもそもからして、我々の住む都市と云うのは「視覚」に基づいた環境設計やインフラということでしょう。
視覚の要求に基づいた環境であり、生活はまたそれに合わせることを要求されます。






もちろんこの場合の視覚と云うのは「一点集中視」です。
精度はすばらしいですが、ひたすら筋肉を酷使します。


焦点以外は見えないどころか、感知するのが困難です。
「歩きスマホ」がいかに危険かということもお分かりかと思います。






周辺視は武術に限らずおおよその身体操作に必要であり、視覚の基本となるものです。
そのひとつに重心や軸の変化があります。
見ることに集中してしまうとどうしても前のめりになります。
顔が、頭が、そして首が前にどんどん行ってしまいます。重量のある頭が前に行っているので
バランスを取ろうと、肩や背中で釣り合いをとる為、引っ張ります。引っ張るために筋肉が
常に縮んで緊張することになるので、肩や背中が凝るのです。

肺も胃腸も圧迫され、呼吸も浅くなり、循環もとても悪くなります。


型をする時も、あまりに見過ぎると軸が曲がって前傾してしまったり、
あるいは眉間のあたりから顔の前にかけてギューッとした感じになってしまい、
とても窮屈な感じの動きになってしまいます。
また、背中~太腿の裏にかけてのラインの意識もなくなってしまいますね。
剣道ですと「遠山の目付」ともいわれます。
まず周辺視が基本になってくるのですが、リラックス状態での集中が必要になってくるでしょう。
そうでないと動きもカチカチになってしまいます。




目と云うのはもともとは光の粒子を感じる受容器なんですね。無脊椎動物は皮膚の由来で、
脊椎動物は脳神経由来です。
光の情報をキャッチして、中枢神経系の働きで視覚が生じます。


そういう意味では、観ると云うよりも感じることを意識した方がいいかもしれません。
網膜で光を感じるという具合で。




余談ですが、鳥は人間の数十倍の視力を持ちます。
ある程度距離が離れていてもこちらの目線にすぐに気づきます。
猛禽類などでは数キロ先の獲物を発見できます。




最近では有名になりましたがシャコは12種類の色を識別でき(人間は3色)、それだけでなく
「円偏光」を認識できるということです。偏光を見ることのできる鳥や虫はいますが、
円偏光はシャコだけのようです。


※円偏光
電場(および磁場)の振動が伝播に伴って円を描く。回転方向によって、右円偏光と
左円偏光がある。角運動量を持つ。






昆虫は時間分解能が発達しております。
ハエの場合、光の明滅を300ヘルツまで感知できるそうで、1秒間に300コマを映せるビデオで
撮影をし、これを通常の30コマ送りで映し出せばその映像は時間を10倍の長さに引き延ばして
映し出すことになります。要するにハイスピードカメラと同じ理屈ですね。
(人間は30ヘルツまでしか感じられない)
速い動きに対する反応は速いですが、遅い動きに対する反応は鈍くなります。




人間でも「双瞳」という表現があります。一つの眼球にふたつの瞳孔が存在することです。
視力云々には関係なく、古代中国の貴人の相として知られています。
楚の項羽が有名でしょうか。
別々に2つあるのではなく、おそらく瞳がふたつ重なった感じかと思われます。
ただ、医学的にみると外科手術が必要ということであまりよろしくないようです。






光といっても、紫外線から赤外線までありますし、宇宙線やX線までいろいろあります。
その中で人間が見えているのは「可視光線」というたった0.000001%くらいだったと思います。


見えていないだけで、いろんな光が存在します。
そういう意味では、人間の感知できる範囲はちっぽけなものですね。






※周辺視ができるからといって、赤外線・紫外線やらが見えたりできません。念のため。





2015年3月8日日曜日

壁 かべ

借り物の言葉で恐縮ですが、「壁は他人から見えて自分から見えない厄介な代物」といいます。

ここでいう壁というのは主に心理的なものを指しますが、そこにもいろいろな意味が含まれています。
ある種の防衛本能でありますので、誰しもが持っているものですし発揮できて当たり前です。

しかし、発揮する時とところを間違えてしまうと、壁はどうしても自分を雁字搦めにしてしまいます。
学びの弊害にすらなる時があります。


その壁はさまざまな心理的要因、それこそ深層心理から出ていることが多いので、一筋縄ではいきません。
そして他人に見えて、自分には見えない、相当厄介な代物です。


「他人に見えて自分に見えない」というのを武術的に見ると、肉体的・心理的な隙であったりすることが多く、
守ることで逆に弱点を浮き彫りにしてしまっていることがあります。それに自分が気が付いていないので、
攻められる一方になってしまうのです。

また、壁のおかげで対人の間合い(太極拳の有効間合)に届かないのです。
練習でも技がかからないのは間合いが浅いことが多く、そこでもう一歩踏み込めばあっさりとかかってしまうことが多いです。
単純な対人緊張でもありますが、これが軽減されると倍ほどリラックスできて演武できます。


まさに「己を知る」ということでしょうか。


太極拳は、「内観」という行程をもって己を知ることを第一義とします。
内観とは簡単にいいますと肉体的・心理的に己を観察するということです。

問題点もとうぜん浮き彫りになるでしょう。痛みであれ、心理的抑圧であれ。
問題点として対処するのは大事ですが、それに囚われすぎるのもまた良くありません。
何とかしたいという思いもまた欲です。
しかし、基本的には「観る」ことが重要です。



・・・と書いたものの、あくまでも「理想」ですし、ここまで教室で四の五の云う訳ではありませんので。
ある日、こういうのが必要だな~って気づくこともあるかと思います。その日を待ちます。





ちなみに、わざと「壁」を作ることもあります。
有象無象の人混みや雑踏などで、結界というか気の障壁というか、そういうものです。
気分転換や余技であり、本職の方には到底及びません。







2015年3月3日火曜日

美しき太極拳女子を応援します-02

 ひな祭りですね。本来ならば旧暦なので来月の後半なのですが、新暦でもお祝いしてしまいましょう。桃の節句ですが、よく知られているように桃には邪気を払う力があります。そして生命力の源としても知られています。西遊記の孫悟空も西王母の桃を盗み食いして不老長寿を得ました。


ちなみに、桃花あるいは桃花殺(とうかさつ)という占事用語では「多淫、色欲」を示します。物事には表があれば裏があるということでしょう。


余談ついでに、桃にちなんだ技もあります。それは太極拳ではなく八卦掌で「猿猴献桃」という技です。意訳すると「おサルさんが桃をプレゼントしちゃうゾ」という意味です。こじんまりして地味ですが女性が使ってもけっこう強力な技ですよ。姉弟子の得意技のひとつで、先の意訳のようなノリで技をかけてきます(笑)。いや、これくらいのノリの方が殺気が無いのでス~ッと入ってこられてしまうんですよ。






 さて、太極拳と云えば呼吸です。吸って、吐く。これだけのことですが、最重要です。体の内側とかインナーマッスルとか、とにもかくにも身体の内側を目覚めさせるには呼吸が最大の近道です。
太極拳的にいうと「吐いて、吸う」であり、むしろ吸うことは体に任せます。呼吸筋、肋骨、背骨、横隔膜、骨盤底などなど、およそ身体の中すべてに影響があります。


実際に教室内では初心者に呼吸法など細かいことは指示しません。とにかく呼吸を忘れないことを、くどい位に言います。それくらい呼吸と云うのは忘れがちなのです。そういう注意を耳にして、中級者でも「あ、忘れてた(∥・Д・)」みたいにコッソリ修正します。
まして太極拳では立って動いているわけですから、ついつい四肢の動きに気を取られてしまいがちです。そのせいで呼吸がとんでもなく浅くなったり、下手をすると息を詰めていることすらあります。呼吸法や何やらのテクニック云々以前に、まず「吐いて、吸う」ことが何より基本なんですね。


ちなみに、呼吸はいわゆる心身のデトックスの基本でもあります。体内に何も溜めない、溜めこまないことが大事です。吐出ということは内側から外に出す流れを形成し、それを基本である呼吸から構築していくわけです。


内側から、外に出す。武術であれば「勁(けい)」。健康であれば「活力・弾力」。美容であれば「デトックス」。




 春から太極拳を始めてみたい、やってみたいという方。まだ定員に空きがありますので、お待ちしております。





2015年3月1日日曜日

美しき太極拳女子を応援します





師範曰く、「理に適う動きをすると美しくなる」。




勉強のために演武会や各種武道大会に見学に行っておりますが、太極拳に限らず、古武術や武道を嗜んでいる女性は綺麗な人が多いと思います。


流派の宗家や師範よりもまず女性を見る(笑)。
冗談はさておき、練習に励み、演武に臨む女性には「凛」とした美的印象を受けますね。
 




顔色、肌つやが良いということもありますが、それに加えて身のこなしや姿勢がたいへん整っているからだと思います。
太極拳は、姿勢であるとか目線であるとか立ち居振る舞いであるとか、「行住坐臥」の基本的な見直しから始まります。「行住坐臥」とは日常の立ち居振る舞いのことです。「行」は歩くこと。「住」はとどまること。「坐」は座ること。「臥」は寝ること。


すべてに呼吸が伴い、軸、丹田、重心、気etc・・・・・・基本を踏まえて套路(型)を行うことでどんどんと身体が変化していきます。また、無駄な力でブンブン動かすこと・肩で動かすことを極力避けますので、動作に角がなくなり、やさしく、たおやかさが出てきます。


そうそう、肩で動かすことを避けるのに関連して、デコルテラインもきれいになってきますね。肩がスッと落ちて、アゴ、首につながるラインがとても優美になります。さらに周辺視を心がけますので、目力があるけれど、ギッと睨んでいないという不思議な感じになります。










2015年2月25日水曜日

太極拳は太極「拳」

太極拳は太極「拳」です。太極体操ではありません・・・。
太極拳は太極「拳」なので、どうしても武術性とは切り離せません。武術性があるからこそ、ヨガではないし、ダンスでもない。ましてラジオ体操でもないのです。


もっとも、武術としての実践性があるかどうかといえば、ヘナチョコな部類でしょう(笑)。それでもなお切り離すことは難しいです。武医同源ということもありますし、何事も表があれば裏がある、虚実・陰陽に基づく身体操作体系なので、どちらか一方だけというのは非常にバランスが悪い。




練習の一環として、型の用法の一例を指示し、遊びのようにお互いに技を掛け合う事をします。それは技の物理的な仕組みを理解し、体感することで「形」への理解が高まるからです。そして「力」の出し方を踏まえて、自分の姿勢であるとか、重心であるとか、呼吸であるとか、そういった事を意識することができるかどうか、確認の場でもあります。


技をかけるにあたり、教えてもらった理屈に従って自分の身体を駆使して実行します。ところが、そうそう上手くかからないんですよね。相手は素直にかかる気でいますがそれでも上手く行かない。本当のことを言いますと、形を「形通り」を実行するのは意外と難しいこともあります。が、それよりも何よりも自分の問題が立ちはだかっている場合がほとんどです。


器用であるとか、理解が早いとか、そういう能力的な事ではありません。心理的なことがほとんどです。相手は抵抗もしなければ動きもしないので、「云われた通りに」「身体を動かせば」良いのですが・・・・・・。「成功しなければ」という強迫観念や視野狭窄。「失敗したらどうしよう」という不安と迷い。そして他人と接近する、あるいは接触するために生じる「対人緊張」が立ちはだかります。




技の成否は二の次です。そういった自分自身に起きる反応を感じ、落ち着いて、素直に実行することを意識するのがすでに鍛錬の一助になっております。




 
こう書いてしまうとまるで「健康」に関係ないように思ってしまいますがそうでもありません。ストレスに対する対処。他人の接近による緊張の低減。そういった状況における呼吸への意識などなど、たくさんあります。得意な技(動き)、不得意な技なども分かりますし、自分を知る為の第一歩でありましょう。


そういう意味でも、受ける方も良い練習になります。先述した事柄だけでなく、力の通り方、崩され方、あるいはなぜ技が成立しないのか考察するなど、やれることはたくさんあります。




上記では「練習の一環として」と大仰に書いてしまいましたが、教室ではほとんどレクリエーションでやっております。感覚的には手品に近い(笑)。笑いや驚きがあってこそですね。綺麗に決まると、やっている方も手ごたえの無さに驚き、やられた方は思わず笑ってしまうような不思議な感覚になります。そしてそれらを踏まえた上で、一段階上の正規練習として「推手」をすることもあります。


※この「手ごたえ」というのが曲者でして・・・・。手ごたえには「やった感」がありますので、つい求めてしまうのです。




ただ、太極拳の基本をある程度おさえると、レクリエーションとはいえ初心者でもたまにまともに成功してしまうことがあるので、笑い楽しみながらでもお互いに真剣さと敬意は欠かすことはできません。




ちなみに、何気なくやった時がもっとも成功率が高いです。





2015年2月16日月曜日

急がば回れ

太極拳の難しいところは型を覚えることではありません。



単刀直入に書いてしまうと「同時進行的に複数の動作を行わねばならない」ことです。




はい、呼吸をしながら、目線は水平に、軸を感じて、丹田から動いて・・・はい、そこのあなた、呼吸が止まってますよ。
おっと、目線が落ちてます。下を見ないでください。




こんな感じです。
形意拳になるとタイミングがさらにシビアになってきますので、身体の各所をシンクロさせないといけません。もちろん、リキミすぎていてはダメです。

忙しいですね。




さすがにそこは各人のレベルに応じて要求を変えていきますし、会員さんも密かに「今日はこのテーマでいこう」と決めて実行していたりしてます。
ただ、呼吸だけは最低限のお約束になっております。

※動きに気を取られていると呼吸がとんでもなく浅くなったり、下手すれば息を詰めていることがよくあるので






このように、あれもこれもやることが多いので型を急いで覚えたりする必要もありません。
やらないといけないこともひとつずつ着実にやっていけばよいのです。






太極拳自体、非日常動作なのです。普段と同じような動作でもその内側、筋肉の動きや骨の角度などはまるっきり異なるのです。人間が生まれもった身体の本能的・感覚的な動きではなく、人為的な、それでいて物理や構造力学に基づいた、いわば第二の自然の動きなのです。
そして日常生活でしみついた「動き」を短期間で変えることは大変です。それだけ体が持っている癖、日常で馴染んでしまった動き方というのは強力なのです。それもまた生き物としての適応のなせる業なので否定してしまってはいけませんが。




慌てず急がず続けることが大事ですね。


2015年2月10日火曜日

太極拳=立つ、こと

 
 太極拳は「立つ」ことから始まります。


 何かしら太極拳を修練することを通じて獲得したい目的があるでしょう。
健康だったり美容であったりはたまた武術であったり・・・そういう目的が多々あるかと思いますが、それらに共通する基本が存在します。それは「立つ」ことです。


 既に当たり前のように立てているのに何故?とお思いでしょうが、まずその当たり前に立てていることを振り返ってもらうといいでしょう。「立つ」ために考えて立ちあがったことはないと思います。重心バランスや平衡、上下感覚を常に考えながら、どの筋肉をどう動かして・・・のように立ちあがったことはないでしょう。電車や信号待ちの時に重心位置や背骨、骨盤の傾き、関節各部への荷重を感じて意識的に修正することもないでしょう。また、二足歩行ロボットの開発の難しさを考えてもらうといいかと思います。


 「立つ」ということは無意識的になされています。いちいち考えてやっていたらとてもではありませんが日常生活は送れません。それは自動運転のようなものです。言うなれば、太極拳ではその自動運転をいったんオフにし手動運転に切り替えて、それから新しいソフトをインストールしていく行程を重視します。


 最低限の力で偏りなく「立つ」ことで無駄な力みがなくなり、気血の滞りが減少し、内臓が活性化し、腰痛、肩こりなどが軽減されます。未病の予防にも役立つでしょう。
 自分の重心位置を把握し、バランスよく「立つ」ことで、無駄な動作・挙動が減り、佇まいや振る舞いに洗練された美しさがでてきます。
 骨格構造や筋肉の筋(腱)を主体にして「立つ」ことで容易に倒れることもなくなり、また立つことを知ることで相手を崩しやすくなります。


 もうひとつ、我々が日常生活で意識しないことがあります。それは「重力」です。生まれてから死ぬまで重力を感じながら生活しているのです。余談ですが脊椎動物である哺乳類の陸上生活における最大の利点は重力下であっても比較的身体を巨大化できつつ、それなりに俊敏性も失われないということです。単純な運動性能だけであれば無脊椎動物である昆虫の足元にも及びませんが、外骨格の彼らには身体を大きくすることができないのです。


 重力と云うのは重さを造り出す原因となる現象です。物体はいやおうなく地面に引き付けられます。我々の身体も例外ではありません。端的に云いますと、太極拳ではこの重力に逆らうことなく、むしろ逆に調和し利用することを目指します。 


 重力と親和する身体で立つことができれば、新たな景色を見られると思います。