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中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2015年6月20日土曜日

忠義を守り、国を守り、家族を守り

名前が残っている武将と云うのはもちろん武功もそうなんですが、
「忠義」や「仁義」を大事にすることが伴うと
ものすごく評価が高くなります。

戦国といえば「生き残る」ために主家を裏切るのはそう珍しくないことで
それだけに「義」を重んじることは難しく、また貴ばれたのだと思います。



忠義を守り、武人の誇りを守り、主家を守り、家族を守り抜いた
ひとりの武将を紹介しましょう。
まさに「武士の鑑」。こんな武士が日本にいてたのですね。



「高橋紹運(たかはしじょううん)/高橋鎮種(しげたね)」
1548 ~ 1586


「武士たる者、仁義を守らざるは鳥獣に異ならず候」


戦国時代末期、九州の豊後国(大分県)を本拠にし北部九州を支配した戦国大名・大友家の武将で、
筑前国の御笠郡(今の福岡県の太宰府一帯)を領していました。
世に「義将」として知られ、生涯を大友家に尽くした人物です。
薩摩の島津家に大敗して以来、凋落の一途をたどる大友家を見捨てず、
盟友・立花道雪と共に孤立する筑前で反・大友勢力を向こうに廻し奮戦します。

紹運の最後の戦いである「岩屋城の戦い」は、日本の戦国史に於いて最も苛烈な激戦といわれ、
豊臣秀吉の天下統一にも深い関わりを持ちます。


「岩屋城の戦い」の少し前、盟友であり、大友家の支柱でもあった立花道雪が陣中で病に没します。
それを契機として、天正14年(1586)、薩摩国の島津氏は、中央で勢力を増す豊臣秀吉の九州介入前に
九州制覇を成し遂げる為、北上を開始。その兵力は優に五万。総大将は島津忠長。


「寝てん覚めてん薩摩兵子(さつまへご)は突っ走ることしか頭ん無かぞ」by島津豊久(ドリフターズ)
というように、薩摩の兵士の精強ぶりはある意味異常です。

薩摩の兵はこんな人ばっかりです(笑)。
※島津豊久も関ヶ原の撤退戦時に、同じように身を挺して友軍を逃がしています。


対する最終防衛ラインである岩屋城に篭る紹運の兵力は僅かに763名、誰の目にも勝敗は決していたはず。
「岩屋城の戦い」はこうして始まりました。


一つは、岩屋城の背後に位置する立花山城には長男の統虎(立花宗茂)が籠って居る事。
もう一つは近隣の宝満城に紹運の妻や次男の高橋統増(後の直次)。
岩屋城から避難した女子供が籠って居る事。
そして島津軍にとって高橋紹運が無視できない武将であった事。
おそらく他の武将であれば素通りしていた可能性が高いでしょう。

老人に婦女子を避難させ、籠城に賛成しかねる者と一人っ子の者は退却させました。
家中の将士から離反者は一人も出ず、籠城作戦は始まりました。
およそ五十倍の敵兵を相手に、城兵は紹運の采配の許で一歩も引かず奮戦、昼夜を問わず激戦を展開しました。
その城に篭った僅かな城兵に対して、予想外の損害を受け、焦る島津氏。
再三に渡り紹運に有利な降伏及び和議を勧告しますが、紹運は拒絶します。


「主君が隆盛しているときは忠勤に励み、功名を競う者あろうとも、
主家が衰えたときには一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。
貴方は島津の家が衰退したとき主家を捨てて命を惜しむのか。
武家に生まれた者として恩・仁義を忘れるものは鳥獣以下である」

と降伏勧告をはね除けて九州一の義理高さを見せつけ、半月の間徹底抗戦した末に763人全員が玉砕。
最後の白兵戦は紹運自ら大長刀を持ち十数人を討取ったとあります。


「紹運雄略絶倫、兵をあげて撃ち出し、薩軍破ること数回、殺傷甚だ多し」
と記録されています。

我が身の最期を悟った紹運は、敵の手にかからぬ内に引き上げ高櫓に登りました。
最期まで付き従った武士が館に火を放つかどうか問うと、

「その儀は無用である。首を取らせる事で、義を守って死した事がわかる。
死体が見えなければ、紹運が逃げ落ちた思われるであろう。
武士は屍を晒さぬものと言うが、それは死に場所による。敢えて首を取らせよ。」

そして自刃。享年39歳。
紹運に付き従ってきた将兵に誰一人として逃げ出した者、降伏した者はおらず、
城内に踏み込んできた島津方は凄惨なこの総自決を眼のあたりにして
声をあげることも出来ず、ただ足をすくませたといいます。

紹運の首は島津本陣に運ばれ首実検に饗された。
総大将である島津忠長は敵ながら見事と称賛をおしまず、
最高の軍礼をもって首実検を執り行いました。


この戦いで島津軍は戦死者3000余りという予想外の被害を被りました。
軍の再編成の時間をとられた上に、その後の立花山城戦では長男・立花宗茂の前に城を落とすことが出来ず、
豊臣秀吉の九州征伐軍の到来と共に退却する事となりました。


翌年、九州征伐により島津家を降伏させた秀吉は
「この乱れた下克上乱世で、紹運ほどの忠勇の士が九州にいたとは思わなかった」と
大宰府に立ち寄った際に高橋紹運主従の忠孝を称え、
紹運を『乱世の華』と深く彼の死を惜しんだと云われています。




さて、ちょっとだけ出てきた高橋紹運の長男の話です。
盟友・立花道雪の度重なる要請に折れ、長男・統虎(後の宗茂)を養子に出すのですが、
その際、
「道雪殿と父が争うことになったならこの刀で父を討て」と訓戒を示し、
一振りの脇差とともに養子に送り出したといいます。

「乱世の華」紹運の子として生まれ、「雷神」立花道雪の薫陶を受けた
彼こそが後に立花宗茂として、
「その忠義鎮西一、その剛勇また鎮西一」と秀吉に称されています。


また、こんなエピソードもあります。
高橋紹運が妻を娶る事が決まった際、連戦に次ぐ連戦で婚儀が延期に延期を重ねていた時。
この間に結婚相手が疱瘡を患い、容貌が醜くなってしまったと言う事で婚約を破棄する旨を伝えてきたが、

「私は彼女の容姿に惚れて婚約を決めたのではない、
心の優しさなど内面に惹かれて婚約を決めたのだから、容姿が変わろうとも問題はない」

この二人から生まれたのが立花宗茂・直次兄弟です。
弟の直次もまた豪勇で知られた猛者です。





ちなみに、子孫のひとりに第92代内閣総理大臣・麻生太郎がいてます。





参考動画。
「戦国無双」シリーズというゲームで、多少登場人物などが異なりますが、
流れを知るにはうってつけかと思います。


00:00~03:30
15:30~ラスト
が、ストーリー部分となります。


2015年6月17日水曜日

歩き方と不整地

二足歩行。ヒトがヒトたる由縁のひとつ。

二足歩行というのは、「移動手段」という位相においては、
人類学者のオーウェン・ラヴジョイ曰く、

「実に馬鹿げた移動方法」


危機に際して素早く動くというだけならゴリラやシンパンジー等に見られるような
ナックル・ウォークの方が数段優れているでしょう。



そんな二足歩行のメリットとは何か。
いろいろあります。ひとつあげるとすれば「道具」が使えることがその最たる
ものではないでしょうか。


※宇宙世紀史上初の汎用人型兵器であるザクシリーズですが、
実は「宇宙空間」及びコロニー内での疑似重力下での運用が初期の前提で、
四肢は工作作業とともに宇宙空間での
AMBAC(システム) [Active Mass Balance Auto Control(System)] 
「能動的質量移動による自然姿勢制御」
の採用によるものです。四肢を工作作業兼攻撃用兼制御装置
として活用したものといえるでしょう。

どこかから引用。
AMBACは概念としては難解なものに思えるが、原理そのものは単純であり、我々が日常的かつ無意識に体験していることである。我々が重力下で(宇宙空間でもかまわない)体のバランスを崩したとしよう。例えば片足で立っているときや、綱渡りをしているときなどである。その時我々は、全く無意識のうちに両腕を広げ、あちこちに向けたり振り回したりしてバランスを取り戻そうとする。これがAMBACであり、MSも腕や脚を使って同じ事を行う(もちろん、重力下でも)。

健常な人間はこれをほとんど意識せずに行うが、それは赤ん坊の這い這いに始まり、やがて2本の足で歩けるようになる過程で自然に習得していくものである。しかしこれを機械に実行させることが如何に困難であるかは容易に想像できるだろう。MS-01で初めてAMBACを実用化したジオニック社は、実質的にMSという兵器そのものを発明したことになる。

「動的バランス制御」という概念においては「システマ」も同様といえるでしょうか。



前置きはこのくらいにして、「ウォーキング」ほどではないですが、歩きに行きました。
求めるものは速さでもなく、距離でもない。
太極拳的な身体の使い方を検証するような歩き方ですね。

なので遅いんですよ(笑)。
ウォーキングの主なスタイルは手を振ってやや大股でシャカシャカ歩く、
そんな感じです。まさに正反対。



極端に云うと、太極拳は歩いていません。
脚が左右に入れ替わっているだけです。
地面を蹴らないし、身体を倒して反射的に脚が出るように
仕向けている訳でもありません。

約束事としては、
地面はとにかく蹴らない。
足は平行に。
掌は地面に向けて。
膝を使わず、大腿部(股関節~丹田)をメインに。
そして「慣性」を利用しない。スピードを出してしまうとそれを利用してしまいますからね。

あとは、前傾しないこと。

だいたいこれらを守りながら歩いていました。
もちろん途中でいろいろとパターンを変えながら歩きます。

周辺視野のトレーニングも忘れません。


途中で歩きながら短めの棒などを軽く振ってみたのですが、これはダメかもしれません。
下半身に意識が行かなくなります。
きちんと太極拳的な身体の使い方が成されていれば問題ないですが、
今の段階ではまだまだでしょうね。
どれだけ動いていない部分に活を入れるかですから。






そしてもうひとつ。不整地での練習です。
不整地と云うのはデコボコしている地面のことです。

足元がいつも平坦とは限らない・・・・ということです。
そこでどう歩くか・・・です。
(こんなところを好き好んで歩く人間はいませんわな)

山やらを走るのはトレイルランニングがありますが、そこまで走り込む
わけではありません。

ただ実際問題として、災害時などには足元が不整地になる可能性は大なので、
そういう心掛けはあった方がいいかもしれません。

また、靴の性能も大きく反映してきます。


今回は低い突起突きコンクリート張りで、
ところどころに草が生えている不整地でやってみました。
さすがに転がる受け身でもこれはキツイ。

普通に歩くと、たしかに歩きにくいです。
上下動が激しくなり、ついつい地面を見てしまい、首や上体が前傾。
軽い眼精疲労や首や肩に凝りが出てきます。もちろん時につまづきます。

では、さらに膝を使わず、股関節をもっと使って・・・と
意識してみると多少マシになりました。
足首の力を抜くと良いのですが、ふくらはぎがパンパンになってきます。


結論から言うと一番具合が良かったのは形意拳の歩法です。
何も考えずに形意拳の五行拳をしてみたら、ほとんどつまずかず、
ひっかからずに移動できました。ちょっと勢いをつけてやってみてもあまり問題なく。
この程度の不整地だったら、足元を気にせずに戦えます。

泥濘や砂利道などではどうなるかわかりませんけどね。


なお、八卦掌は微妙でした。これはまだ鍛錬が足らないせいかと思います。



平坦な道では膝はほとんど意識しないと思います。
膝の使い方といいますか、膝を中心に歩かないということが大事ですね。
膝関節については直角に曲げ伸ばしすることが基本の関節なので、
クッションやコントロールポイントではあるかもしれませんが、動力源ではありません。


あと、股関節(鼠径部)を使うとけっこう疲労感や筋肉の痛みが出てくることがあり、
これでついつい止めてしまう人が多いんじゃないかな?と。


「痛み」は切っても切り離せないもので、時には避けて通れないこともあるのですが、
説明はたいへん難しいです。

太極拳の功夫における「痛み」の問題もありますが、これはまたの機会に。


2015年6月14日日曜日

あなたに似合う柔道の技


あなたに似合う柔道の技を見てみましょう。
10個の質問に答えて発見!

・・・というのがありましたのでぜひやってみてください。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

裏投げ、朽木倒し☆いろいろなやり方で、ポイント!「あなたに似合う柔道の技は?」

この診断では、そんな柔道の技のなかから、あなたの性格に一番似合う技を占うことができます。
柔道に興味がある人はぜ、ひ試してみてくださいね!
大技決めて、目指せ一本☆


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


ちなみに私は『一本背負い』でした。『空気投げ』じゃないのか・・・。


出た技をぜひ教室でA先生やT先生に聞いてみてください。
(全部が全部ではないですが)太極拳風にアレンジして教えてくれますよ。



おまけ。

探偵!ナイトスクープ 「無敗の柔道チャンピオン?」


持ち前のフィジカルと運動神経で柔道に挑むが秒殺。
柔道の技を特訓して再戦しますが・・・!

2015年6月13日土曜日

「キングダム」外伝(笑)

たまにはこういう話もいかがかと思いまして。


先日放送した「アメトーーク」のキングダム芸人はちょっとステマ過ぎて
あまり面白くなかったです。


大人気「キングダム」ですが、嫪毐(ろうあい)軍が敗北し、連座で呂不韋の失墜と相成りました。
そして反乱に加担していた樊於期(はんおき)将軍が逃亡します。
これが新たな幕開けなんですね。

キングダムはキングダムであくまでも作者の「オリジナル」なので、史実に忠実に展開するかどうかは
わかりません。ただ、主人公である信は「李信」がモデルであるとガイドブックで言及されているようです。

実は私も本作を断片的にしか読んでないんですよね。
「東周英雄伝」と横光の「史記」「項羽と劉邦」はしっかり読んでおりましたが。

興味をもったのは「刎頸の交わり」で有名な廉頗(れんぱ)が出てきたのがきっかけです。
藺相如(りんしょうじょ)亡き後の老将の活躍を見ておりました。



さて、この反乱の後に秦王・政が大いに感銘を受けたというあの「韓非子」の韓非と接見するのですが、
李斯が謀殺してしまいます。
自分より出来る人物が登場した(と思った)ので、自分の立場の危うさを感じたためですね。
この因果か、あの李牧すら謀略で退けたはずの李斯ですが、始皇帝の死をきっかけに、
身分も何もかも低く見ていた趙高に手玉に取られた挙句、謀殺されてしまいます。




逃亡した樊於期は燕国に亡命します。
燕国は秦の圧迫から起死回生を狙うべく秦王・政暗殺計画を企画します。
首謀者は燕国太子・丹。丹はかつて政と同じく人質時代を過ごしていたのですが、
時が二人を分かち、大国となった秦王・政に丹は「小国」と侮られたことも大きいです。
そこで刺客を送るという一計を案じ、派遣されたのが「史記・刺客列伝」でも名高い荊軻(けいか)。
読書と剣術を修行し、若くして諸国を放浪して遊説術を学んでいた人物です。
※当時、何らかの武術的なものがあったようですが、明確な記録はほとんど残っていません。
※やはり文が優位であることと、戦場では遊牧民族から取り入れた「騎射」が花形・主力であるためでしょう。
 
 

その荊軻が秦王政を信用させる手段として割譲する土地と樊於期の首が必要と提案し、
樊於期もそれに同意して自害します。


荊軻は土地の地図と樊於期の首をもって秦・咸陽を目指します。
この時にお共に連れていた小僧がまたとんでもない役立たずなんですね。
人を殺したことが自慢の田舎者で、実際は秦王・政の前でガクブルしてひれ伏していただけの存在。
二人掛かりで政を襲撃していたら、歴史は変わったかもしれません。
荊軻も「役に立たない」と云ったのですが、依頼主でもある燕国太子が推してきたので断り切れなかったことと、
荊軻が待っていた旧友が期日に間に合わなかったことが原因です。
(燕国太子が「はよ行け」とせかしたらしいですが)

荊軻の眼鏡にかなうその人物が誰か? 明らかにはなっていません。
とうぜん武器をもって謁見できないため地図に毒を塗った匕首を忍ばせ、油断したところを
一突きにする作戦ですが、残念ながら失敗に終わります。

荊軻は斬殺。そして後に燕国は信を中心に攻め滅ぼされることになります。
荊軻は強大な国の王に対して、心意気一つで立ち向かった義士と言うことで人気は高いです。

さて、燕国の前に秦王・政は韓・魏・趙を滅ぼします。
主人公である信たちが大活躍します。


韓滅亡⇒若き日の「張良」が逃亡。秦の滅亡フラグですね。

張良は始皇帝暗殺を実行しますが失敗して再び逃亡。
後に劉邦に仕えることになります。最高の知略の臣として「王佐の才」の代名詞に。


この頃、劉邦はたぶんフラフラしていたと思います。
地元の侠客(半分やくざの木端役人)ですから。




魏滅亡→張耳が逃亡。
この人もまた劉邦陣営に加わった人ですね。
作中にも名前だけ出ていますが、魏には戦国四君子のひとり「信陵君無忌」という超絶イケてる将軍がいたのですが、
晩年は兄王の嫌疑が原因で隠遁生活。作中では既に亡くなっています。
張耳は食客の一人だったこともありましたが、信陵君の晩年だったせいもあり特に活躍もありません。
魏ではそこそこ有名な名士だったようで、劉邦がフラフラと「あんたのとこの食客にしてほしい」と来たこともありました。

ただ、魏が滅亡し、秦から懸賞金をかけられてしまいます。
秦は信陵君にドエライ目に遭わされているので、その息のかかった人物は許せないのでしょうか。

逃亡先では名前を変えて隠棲し、後に反乱軍陣営、独立して敗走し、劉邦のもとへやってきます。



さて、主人公である信ですが、いちおう「李信」がモデルと云われています。
信は蒙恬といっしょに後に楚へ20万の軍勢を率いて出兵し、
あの項羽のおじいさん@項燕と戦って負けてしまいます。
「歴史的大敗退」をやらかしますが、後に復帰します。
そのかわりに派遣されてきたのが「勝てない戦には興味が無い」王翦将軍ですね。


紀元前238年の反乱鎮圧から統一事業を始めて、紀元前221年の斉滅亡で中華統一になります。
信と蒙恬、王賁で斉を攻め落としてしまいます。これが三人でやる最後の大仕事になりますでしょうか。
この頃、既に信の部隊には章邯(しょうかん)がいると思います。
情報参謀として有能で、後に独立して将軍となっています。
信の志を受け継いだ章邯はまさに秦国最後の将軍として始皇帝亡き後の秦を支え、項羽と戦い抜きます。
力及ばず項羽に降った後は左遷された劉邦の監視役となり、中央への道を塞ぐ形で太守に任命されます。
そして力を付けて中央に戻ろうとする劉邦と戦い敗死するという数奇な運命を辿ります。


蒙恬は秦の統一後、中華民族の天敵である北方遊牧民・匈奴討伐でオルドス戦役などで武功を上げます。
政の長男の後見人にもなるのですが・・・・超高と彼に操られる李斯によって
自害に追い込まれてしまいます。

王賁の子・王離は秦滅亡を食い止めるべく項羽と戦いますが、残念ながら敗北してしまいます。
その後の消息は不明。子孫が王氏なので、ひょっとしたらあの王元姫(晋・司馬炎の母)もその血筋の末端
なのではないかと思いましたが、違うようです。

信の子孫は・・・・・・優れているが不遇な名将を生み出す家系なのか、
李広(前漢の将軍。匈奴征伐に功あり名声も高いのだが・・・いろいろあって自害)
李陵(その孫。匈奴征伐に功あり・・・・・いろいろありすぎて匈奴に寝返る)
がいてます。
また、一説には大唐帝国の高祖・李淵は李信の子孫でもある
隴西李氏の流れを汲んでいる、と云われています。

かの李白もそのようです。

ちなみに中国では「匈奴(北方遊牧民)に強い」というのはものすごいステータスですね。
あの「岳飛」も北方遊牧民族には強かったですから。
中国史上では文化度が最高クラスの「宋」時代で、しかも救国の英雄ということで、
中国人の人気が高いのもうなずけます。
(御多聞にもれず、悲運の将です)


始皇帝である秦王・政亡き後、実は6か月足らずで帝国は崩壊しているんですよね。
世界初の農民反乱といわれる陳勝・呉広の乱です。
長きにわたる春秋戦国時代を経て統一に至ったわけですから、
統一後の内政のノウハウなどあるわけありません。
また「秦」自体も、どちらかといえば中央から外れたところにある国で、
民俗風習も中央とちょっと違っていたようですから。


紀元前206年、秦滅亡。
そして、項羽と劉邦の登場になり、「漢楚の戦い」に至ります。



2015年6月11日木曜日

型は簡単に覚えられる・・・?

「型が覚えにくい」と思ったことはありませんか?
それとも「太極拳の型くらい、簡単に覚えられる!」と思ったことありませんか?


実は、李老師は当然、師範たちの演武を見て覚えるのはけっこう大変な作業なのです。
何故か? ゆっくりなのに不思議ですよね。

それは動きがひと時も止まってなくて流れるように移行しているからです。
区切りがありませんので、初心者は脳が「認識できない」のです。
Aという形を認識したと思ったら既にBに移行していて・・・というパターンに陥ります。



ダンスも、振り付けでは初級クラスはシンプルに「動いて止まる・動いて動いて止まる」
という感じなのですが、上級クラスになっていくと「動いて動く、動いて~止まって、動く動く」と
動きが止め処もなく移り変わっていきます。
先生がクラスレベルに応じて「休憩ポイント」を設けてくれているのですね。


はっきりくっきり「A」なら「A」。「B」なら「B」としてほしいと思うでしょうが、
それをやってしまうと太極拳ですらなくなってしまうのです。
ポーズを取ることが目的ではありません。そうなってしまうとラジオ体操以下です。

※ポーズではなく「立禅」としてできるようであれば既に問題ないレベルです


そう、「A」から「B」に移行するその間、過程こそが大事なのであって、「A」も「B」も
結果に過ぎないのです。


もちろん、明確なポーズだけを覚えるというのは流れを覚えるための「方法」
として悪いことではありません。間に存在する変化についての思考を後回しにして
省略化することも必要です。私も新しい型を覚える時にやります。



あと、人間は忘れます。覚えたつもりでも忘れます。
強い興味、好奇心や感動、驚きなどとともにスッと深層心理にでも入り込めば
かなり強固なのですが、通常の状態、ましてストレス(プレッシャーなど)がかかってしまうと
覚えたつもりでもその時に受けたストレスと一緒に忘れてしまいます。そんなものです。

人間は忘れるようにできているんですね。


型を覚えるということに関しては楽に考えてもらって良いと思います。
「太極拳をしている実感が無い」と云われてしまうとちょっと返答に困りますが、
先生方はその人の型を見ているのではなくて、姿勢、身体の動きや使い方を見ています。
それらは基本鍛錬とか太極拳の基本の攬雀尾とかで練習できていますのでご心配なく。







単純に型だけを覚えるのに良いのは、やはり発表会ですね。
これは良いプレッシャーでしょう(笑)。
私もそれで純陽剣を覚えました。


2015年6月7日日曜日

つばめ 

「形意拳」は中央式太極拳を学ぶ上では欠かすことができません。
なにしろ王樹金老師の得意とするところですから。

まずは劈拳。次に五行拳を学びます。
その次に「十二形拳」というものがあり、それは動物の名前を冠しており、
生き物の形態・動態を象形として武術に生かしたものです。
先のブログで「ハイタカ」に触れましたが、次は「ツバメ」である「燕形」があります。

今はツバメの繁殖期の真っ最中で、河原などでもよく飛んでいます。街中でも見かけることと思います。
オスカー・ワイルドの「幸福な王子」でも有名ですね。
「燕人」といえば三国志演義の「張飛」ですし、春秋戦国の「燕国」といえば楽毅が居てます。


さて、ツバメの最大の特徴として「空中で飛びながら虫を捕食する」こことが挙げられます。
意外に思われるかもしれませんが、”飛びながら”餌を捕え、飛びながら食べる鳥は意外と少ないのです。
ハチドリなども飛びながら蜜を吸いますが、ツバメやヨタカなどは飛んでいる虫を捕食しますので、
そういう意味ではよりスゴイと思いますね。

水面上を飛行しながら水を飲みます。もちろん地上ギリギリを掠め飛ぶこともよくあります。
目の前を滑るように飛んでいく様をいつ見ても素晴らしいものです。見とれてしまいますね。
急激に速度を落としたり小さく旋回することもお手の物です。

細かい話をしますと、スズメ目ツバメ科の「ツバメ」とアマツバメ目アマツバメ科の
「アマツバメ」がいてまして、見た目は似てますがちょっと仲間が異なります。
どっちも高速で飛ぶということに進化した結果のそっくりさんなんですね。
ちなみに、中華料理の「ツバメの巣」はアマツバメ系のアナツバメ類です。

「ツバメ返し」「ツバメ落し」「ツバメ斬り」「飛燕」「燕尾剣」etc・・・武術にもたくさん名前があります。
ようやく十二形拳の「燕形」の話です。



急降下、旋回、超低空飛行など、さまざまなツバメの動態を象意として取り入れられています。
乙の字のような動きであるから「乙鳥」と書いてつばめと呼んだりもします。
もちろん形意拳各派によって差異はあるのですが、予想に違わず、けっこう難しいんですよね・・・。
なので意外にみなさんやりたがりません。

姉弟子はかつて李老師に「ツバメではなくペンギン」と云われたことがあります。
私はスズメです。


そうそう。易経のなかにも、ツバメは出てきます。
たしか「風沢中孚」の初爻に燕の辞があって、ナントカカントカ・・・。
私は周易は不勉強なので、また詳しく調べてみたいと思います。

初爻は、「虞」はよく考えること。「它」は他に心を移すこと。
「よく考えれば吉。他に心を移せば安きを失う」。
本業を固く守る時。心変わりは禁物・・・かな。





「燕啼きて 夜蛇をうつ 小家哉」
蕪村



2015年6月5日金曜日

生まれ干支と五行

納涼懇親会、今年もやりますのでよろしくお願いします。
ちょっと間が空いちゃった人もお久しぶりさんも遠慮なくどうぞ!

※日取り、場所はまだです。すみません(汗)。



さて。

教室ではついつい干支を聞いてしまうことがあります。
年というよりは易における、ちょっとした相性占いみたいな感じですね。
四柱推命ほどではありませんが、五行易でも多少は遊べる程度にはできます。


形意拳には五行拳といって、五行そのままの型があります。

生年干支によるちょっとした遊びのようなものですがざっくり分類しますと、

寅卯が「木気」で、崩拳  「肝」 五味:酸っぱい     
巳午が「火気」で、炮拳  「心」 五味:苦い  
申酉が「金気」で、劈拳  「肺」 五味:辛い
亥子が「水気」で、鑽拳  「腎」 五味:塩辛い(鹹) 
丑辰未戌が「土気」で、横拳「脾」 五味:甘

土は他の四徳(木火金水)を含み、それぞれの属性をカッコよく言うと、
「かわいた大地」が戌  乾温   
「いてつく大地」が丑  冷湿    
「しずむ大地」が辰   湿潤    
「にらぐ大地」が未   熱燥   



やはり難しいのがちょっと不思議な動きをする横拳ですね。
基本となるのは劈拳です。崩拳は中国武術の象徴であり代表格でしょう。
鑽拳は動作がカッコイイですし、炮拳は護身に向いています。


実際の動作ができなくてもその形をもって立禅すれば良いでしょう。
興味があればまた教室で聞いてみてください。








「乾いた大地」


2015年5月29日金曜日

八卦掌-02


八卦掌が日本に初めて公式にもたらしたのは王樹金老師です。台湾政府からの文化特使としての来日でした。そして、中国武術研究家の松田隆智による紹介も大きいでしょう。
3年ほど前でしたか、「一代宗師(邦題 グランドマスター)」が上映された時、ちょっとだけ話題になったような記憶もあります。


チャン・ツィイー 舞台裏

こういう服装で事もなげにやるので余計にかっこいいですね。




八卦掌は、見た目の特徴として拳ではなく掌による攻防を主として、「走圏」という独特の功夫を積むのが大きな特徴ですね。そして「八卦掌」は清代末の「董海川 (?~1882)」の創始なのですが、そのままのモノが残っておりません。既に二代目の時点でかなりバラバラになっております。


元々、他の武術を学んでいる人間が八卦掌で自分の武術を高度に高めるための要素になり、また 董海川もそうした傾向にあります。極端な話、先生によって異なるとも言えます。現在では他の武術を取り込んだ状態になり、初めから八卦掌を学ぶ事も流派によっては可能です。ただ、どんな八卦掌流派であっても基本の単換掌と走圏は、おおよその部分で共通しているところが多いですね。



八卦掌は動作に対称性を持たせることによって、それぞれの相対的意義を理解できるようにっていると思います。左と右、高いと低い、前と後ろ等々・・・。八卦掌はその対称性故に、功夫が深まると美しい動作が生まれてきます。

映画「グランドマスター」では、映像美として拳法の闘いを描いているのが特徴だと思います。八卦掌の特徴を上手く映像化していますね。ストーリーの内容や展開は「・・・??」らしいですが、映像だけでも見ておく価値はあるでしょう。


さて、肝心の八卦掌の内容ですが、一見すると舞っているような優美な印象を受けますが、その実はなかなか鋭いトゲを持ちます。優雅な掌の一閃々々が必殺の威力を持つ、やはりこういうところが魅力的なのでしょうね。女性が八卦掌をやると際立ちますね。
とにかく身体の要所を捻転しますので、呼吸法と合わせるとシェイプアップにも最適です。



李老師の八卦掌は独特のリズム感と躍動感があり、見ていて非常に素晴らしいです。

ただ、太極拳以上に見た目の動きに「騙される」ので手先の動きになりがちです。
形意拳は呼吸やタイミングなどがシビアなので出来なければできないと明確なのですが、八卦掌は何となく雰囲気で流せてしまうコワサがあります。我ながら耳が痛いですが(苦笑)。

基本をしっかり積んだ上での習得になるのが望ましいので、当会では基本からしっかりやっていきます。会員さんの中でも頑張っておられる方もいますね。




晩年の王樹金老師になると、李老師に伺った話と映像から検討した推測では「立てば太極拳、進めば形意拳、回る姿は八卦掌」という感じで、あの体型とも相まって、もはや渾然一体と化した様子ではないかと思います。
 
そういう意味でも太極拳を中心に弊習していく方針となっております。
時に形意拳、時に八卦掌を学び、研究し、また太極拳に戻っていく・・・そんな流れです。
私も昔は形意拳や武器だけでいいじゃないかと思ってましたが、そうではないと感じております。



A先生もT先生もK姐先生も「使っていて便利だな~」というのが共通した感想ですね。