テレビを見ていると「腸環境ダイエット?」(名称失念)という、腸に働きかけて
美容だったり健康だったり、向上させていこうという内容でした。
芸能人が施術を受けたり自宅で運動にチャレンジした結果、ウエストが締まったり、
便秘が治ったり、腸を整えることによりさまざまな効能が出るという事をやっていました。
これはうちでも似たようなことやってるなー・・・と観ておりました。
スワイショウやら八卦掌やらetc。
※テレビでやっていたのは「専門家の施術+指導による自宅エクササイズ」による賜物
なので、一概に同一化することはできません。念のため。
腸を活性化させることはとても良いです。先にも書きましたが、生物としてもっとも最初に
できた原初の器官として小腸があります。消化して取り込むという器官は単細胞生物にもあり、
生物として基盤を成します。
そうそう。「千島学説」というのをご存知でしょうか。
千島学説とは、千島喜久男博士が提唱したユニークな学説です。
一般的には、ヒトの血液に含まれる細胞成分(血球)は骨髄で細胞分裂によってできると
考えられます。しかし、千島学説では細胞分裂によらず腸で食べ物から作られると考えます。
これを「腸内造血説」といいます。
科学的・医学的に広く認められている説ではありません。
ただ、「気海丹田」と云われるように、単純に丹=赤ですし、田というのも何かを生産する母体
であります。この場合ですと小腸絨毛でしょうかね。気血を生み出す場所という大元、ということで。
血は発生しなくても、血液が小腸絨毛を巡ることで外部から取り入れた様々な栄養素を全身
の細胞に運ぶわけですから、大事なことには変わりありません。
血液の質に関わることなので、健康にも美容にも大事な大元でしょう。
エステだったり病院だったり整体など、外部の力を借りるのはいいと思います。
ただ、元々の生命力だったり自分の治癒力だったりを普段から維持しておくことで、
その手助けはさらに役に立つでしょう。
古代ギリシャの医師であるヒポクラテスは言いました。
「人間は体内に100人の名医を持つ。 医者のなすべきことは、その名医を手助けすることだ」。
病院があるのはたいへん有難いことです。ただし、みずから「患者」になり、「病人」に
なっているとも思える節があります。特に日本は医療制度がとても充実していますので、
そこに大いなる「甘え」があるのかもしれません。
一概に判断はできませんが、ちょっとしたことで救急車を呼んで大騒ぎするなど、
どうしても甘えと依存があふれ出しているように感じてしまいます。
あるいは、病院が高齢者の「サロン」と化しているところも多いようです。
これには李老師も嘆いておりました。
よい気血を保つこともまた健康や美容の秘訣です。
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気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。
2015年4月11日土曜日
美しき太極拳女子を応援します-04
テレビを見ていると「腸環境ダイエット?」(名称失念)という、腸に働きかけて
美容だったり健康だったり、向上させていこうという内容でした。
芸能人が施術を受けたり自宅で運動にチャレンジした結果、ウエストが締まったり、
便秘が治ったり、腸を整えることによりさまざまな効能が出るという事をやっていました。
これはうちでも似たようなことやってるなー・・・と観ておりました。
スワイショウやら八卦掌やらetc。
※テレビでやっていたのは「専門家の施術+指導による自宅エクササイズ」による賜物
なので、一概に同一化することはできません。念のため。
腸を活性化させることはとても良いです。先にも書きましたが、生物としてもっとも最初に
できた原初の器官として小腸があります。消化して取り込むという器官は単細胞生物にもあり、
生物として基盤を成します。
そうそう。「千島学説」というのをご存知でしょうか。
千島学説とは、千島喜久男博士が提唱したユニークな学説です。
一般的には、ヒトの血液に含まれる細胞成分(血球)は骨髄で細胞分裂によってできると
考えられます。しかし、千島学説では細胞分裂によらず腸で食べ物から作られると考えます。
これを「腸内造血説」といいます。
科学的・医学的に広く認められている説ではありません。
ただ、「気海丹田」と云われるように、単純に丹=赤ですし、田というのも何かを生産する母体
であります。この場合ですと小腸絨毛でしょうかね。気血を生み出す場所という大元、ということで。
血は発生しなくても、血液が小腸絨毛を巡ることで外部から取り入れた様々な栄養素を全身
の細胞に運ぶわけですから、大事なことには変わりありません。
血液の質に関わることなので、健康にも美容にも大事な大元でしょう。
エステだったり病院だったり整体など、外部の力を借りるのはいいと思います。
ただ、元々の生命力だったり自分の治癒力だったりを普段から維持しておくことで、
その手助けはさらに役に立つでしょう。
古代ギリシャの医師であるヒポクラテスは言いました。
「人間は体内に100人の名医を持つ。 医者のなすべきことは、その名医を手助けすることだ」。
病院があるのはたいへん有難いことです。ただし、みずから「患者」になり、「病人」に
なっているとも思える節があります。特に日本は医療制度がとても充実していますので、
そこに大いなる「甘え」があるのかもしれません。
一概に判断はできませんが、ちょっとしたことで救急車を呼んで大騒ぎするなど、
どうしても甘えと依存があふれ出しているように感じてしまいます。
あるいは、病院が高齢者の「サロン」と化しているところも多いようです。
これには李老師も嘆いておりました。
よい気血を保つこともまた健康や美容の秘訣です。
美容だったり健康だったり、向上させていこうという内容でした。
芸能人が施術を受けたり自宅で運動にチャレンジした結果、ウエストが締まったり、
便秘が治ったり、腸を整えることによりさまざまな効能が出るという事をやっていました。
これはうちでも似たようなことやってるなー・・・と観ておりました。
スワイショウやら八卦掌やらetc。
※テレビでやっていたのは「専門家の施術+指導による自宅エクササイズ」による賜物
なので、一概に同一化することはできません。念のため。
腸を活性化させることはとても良いです。先にも書きましたが、生物としてもっとも最初に
できた原初の器官として小腸があります。消化して取り込むという器官は単細胞生物にもあり、
生物として基盤を成します。
そうそう。「千島学説」というのをご存知でしょうか。
千島学説とは、千島喜久男博士が提唱したユニークな学説です。
一般的には、ヒトの血液に含まれる細胞成分(血球)は骨髄で細胞分裂によってできると
考えられます。しかし、千島学説では細胞分裂によらず腸で食べ物から作られると考えます。
これを「腸内造血説」といいます。
科学的・医学的に広く認められている説ではありません。
ただ、「気海丹田」と云われるように、単純に丹=赤ですし、田というのも何かを生産する母体
であります。この場合ですと小腸絨毛でしょうかね。気血を生み出す場所という大元、ということで。
血は発生しなくても、血液が小腸絨毛を巡ることで外部から取り入れた様々な栄養素を全身
の細胞に運ぶわけですから、大事なことには変わりありません。
血液の質に関わることなので、健康にも美容にも大事な大元でしょう。
エステだったり病院だったり整体など、外部の力を借りるのはいいと思います。
ただ、元々の生命力だったり自分の治癒力だったりを普段から維持しておくことで、
その手助けはさらに役に立つでしょう。
古代ギリシャの医師であるヒポクラテスは言いました。
「人間は体内に100人の名医を持つ。 医者のなすべきことは、その名医を手助けすることだ」。
病院があるのはたいへん有難いことです。ただし、みずから「患者」になり、「病人」に
なっているとも思える節があります。特に日本は医療制度がとても充実していますので、
そこに大いなる「甘え」があるのかもしれません。
一概に判断はできませんが、ちょっとしたことで救急車を呼んで大騒ぎするなど、
どうしても甘えと依存があふれ出しているように感じてしまいます。
あるいは、病院が高齢者の「サロン」と化しているところも多いようです。
これには李老師も嘆いておりました。
よい気血を保つこともまた健康や美容の秘訣です。
2015年4月3日金曜日
武器術
太極拳の演武会などでよく見ることができますが、剣の演武があります。
女性の剣の演武は大変に優美であり、遺憾ながら日本刀よりも
合っているのではないかと思う事さえあります。
中国の剣は基本的に薄くてよくしなり、目標をちから一杯叩き切ったり、
乱暴に刺したりすることはできません。もちろん、そんなペラペラな剣でまともに
相手の攻撃を受けることはできません。
そういう意味ではまさに「手の延長」であり、技量の高さを必要とする武器です。
武器というと野蛮な印象がありますが、それこそ人類の歴史において切っても
切り離せないものであります。手が使えるようになって、その手に持った棒きれや
骨(大たい骨)から始まったと云っても過言ではないでしょう。それは威力とともに、
危険な目標から自分を少しでも遠ざけることができました。
それが槍になり、時に剣に、時に斧になり、そして、弓矢という、他の動物にはない
最大級のアドバンテージ「一方的な遠距離攻撃」を手にします。
※武士は本来的には弓術と馬術が最重要で、兵種としては「重装騎馬弓兵」になるそうです。
剣術がメインになるのは江戸時代からですね。
野蛮・・・と書きましたが、それも実は武器のメリットのひとつです。
相手に「恐怖」を感じさせるわけです。威圧ですね。
それを否定、批判する意味で「野蛮」であると感じていると思います。
素手よりも金属バット。金属バットよりもナイフ。ナイフよりも銃。
銃はその音(聴覚)や煙硝(視覚&嗅覚)が余計に恐怖を増します。
音が鳴った時、自分を含めて誰かが死ぬ可能性があり、かつ(弾丸が)目に見えない。
物理的に行使する以前に、相手の行動をコントロールできるというのは大きいですね。
たまにナイフや棒などの武器を使った対練をします。
情けない話ですが、思うように身体が動いた試しがありません。
棒などではまだマシですが、模擬ナイフとはいえ、あの金属光沢が視覚に入るだけで
身体の感じが一変してしまいますね。
視界が狭まり、もし武器が当たってしまったら・・・と想像力が変な方向に進み、
身体が硬直し、息がとてつもなく浅くなる・・・。
これを緩和させるのにいちばん手っ取り早い方法は、こちらも相応の武器を持つことです(笑)。
さて、上記は相対した場合の話ですが、武器を持ってやり合うだけでなく、
武器を手に持って練習することにもたいへんメリットがあります。
武器を持つことで重心が変わる、重いものを軽く扱えるようにする、
武器に気を通す、などというように、套路をする上でもとてもよい身体の鍛錬にもなります。
中国剣は「武威」よりもその「霊性」を尊ぶとのことなので、
女性にも無理なく扱えるのだろうと思います。
演武会などでは槍や棍、刀などを見ますが、だんとつで中国剣が似合ってますね。
次にやっぱり薙刀でしょう。
日本刀もやはり「霊性の発露」ですし、とても宜しいのですが、
しかし、どうも刀の「重さ」に引っ張られている人が多いような気がします。
余談ですが、漫画やアニメなどでは様々な武器を持った女性キャラがいます。
女性キャラが大型武器や対戦車ライフル等の大型火器を扱うのは、
ひとつの様式美ですね(笑)。
2015年3月30日月曜日
「還暦」 二巡目の世界
還暦(かんれき)。
十干十二支による60干支が一巡すること。
※十干・・・甲乙丙丁戊己庚申壬癸からなる
※十二支・・・子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥からなる
甲子から始まり癸亥で終わり、また始まる。
阿で開いた世界が、吽によって閉じていき、また開く。
還暦を迎えるということは、
一巡目の世界が終わり、二巡目の世界が始めるという事です。
もう一度、人生が始まるのです。それはプラスでもないマイナスでもない、二巡目です。
そして一巡した世界・・・つまり既に経験してきた出来事は起きる運命である為、
二巡目の世界では、未来の出来事があらかじめ起こる前に判る・・・かもしれません。
少なくとも、経験してきたことからあらかじめ起きることの予測ができるわけで、
「運命」に対して「覚悟」することができるのです。
時間は加速します。「精神」に宿る記憶がすべての事態を予測できるなら、
既に通り過ぎた出来事なら、さらに加速して通り過ぎてしまいます。
太極拳と同じです。先の先の先・・・。
「五行易」という易占法における生年月日判断において、人のタイムラインは
6つの項目に分けられ、60年を一区切りとします。ひとつめのタイムライン、
すなわち生まれてから10代の頃になります。還暦を過ぎて、またそこから
始まることになります。
易の観点から見ると人生は全生であって、余生や老後なんてありません。
「年だから」「老い先を考えると意味がない」そういったことをおっしゃる方も少なくありません。
無欲というか無気力になってしまう方もいます。
だからこそ、人としての根源である「欲」。それも目先、個人、見栄の「小欲」ならず、
社会貢献や後続にもつながる「大欲」をもって臨むべきでしょう。
「欲」と云うのはオソロシイもので、我が意に沿うものならば骨身を惜しまないものです(笑)。
内なる要求とでもいいましょうか、お腹が空いたから食べたくなる。
尿意を感じたのでトイレに行きたい。
生まれたら、ただ生きたい。
一方、友達とやる冬の登山は寒くないが、家のお使いに行かされるのは寒くてたまらない。
自分の要求で動かないとこんなものです。
生き物は自分で動きます。他の力ではありません。自分で動くのは要求を満たすため。
太極拳は体力と筋力がものをいうスポーツ、運動ではありません。
身体をあますところなく使って使って使いたおす方法やノウハウです。
まだ定員枠も少し残っておりますので、中高年の方もチャレンジしてみませんか?
お問い合わせや見学申し込みは「太極拳&みんなの掲示板」からどうぞ。
十干十二支による60干支が一巡すること。
※十干・・・甲乙丙丁戊己庚申壬癸からなる
※十二支・・・子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥からなる
甲子から始まり癸亥で終わり、また始まる。
阿で開いた世界が、吽によって閉じていき、また開く。
還暦を迎えるということは、
一巡目の世界が終わり、二巡目の世界が始めるという事です。
もう一度、人生が始まるのです。それはプラスでもないマイナスでもない、二巡目です。
そして一巡した世界・・・つまり既に経験してきた出来事は起きる運命である為、
二巡目の世界では、未来の出来事があらかじめ起こる前に判る・・・かもしれません。
少なくとも、経験してきたことからあらかじめ起きることの予測ができるわけで、
「運命」に対して「覚悟」することができるのです。
時間は加速します。「精神」に宿る記憶がすべての事態を予測できるなら、
既に通り過ぎた出来事なら、さらに加速して通り過ぎてしまいます。
太極拳と同じです。先の先の先・・・。
「五行易」という易占法における生年月日判断において、人のタイムラインは
6つの項目に分けられ、60年を一区切りとします。ひとつめのタイムライン、
すなわち生まれてから10代の頃になります。還暦を過ぎて、またそこから
始まることになります。
易の観点から見ると人生は全生であって、余生や老後なんてありません。
「年だから」「老い先を考えると意味がない」そういったことをおっしゃる方も少なくありません。
無欲というか無気力になってしまう方もいます。
だからこそ、人としての根源である「欲」。それも目先、個人、見栄の「小欲」ならず、
社会貢献や後続にもつながる「大欲」をもって臨むべきでしょう。
「欲」と云うのはオソロシイもので、我が意に沿うものならば骨身を惜しまないものです(笑)。
内なる要求とでもいいましょうか、お腹が空いたから食べたくなる。
尿意を感じたのでトイレに行きたい。
生まれたら、ただ生きたい。
一方、友達とやる冬の登山は寒くないが、家のお使いに行かされるのは寒くてたまらない。
自分の要求で動かないとこんなものです。
生き物は自分で動きます。他の力ではありません。自分で動くのは要求を満たすため。
太極拳は体力と筋力がものをいうスポーツ、運動ではありません。
身体をあますところなく使って使って使いたおす方法やノウハウです。
まだ定員枠も少し残っておりますので、中高年の方もチャレンジしてみませんか?
お問い合わせや見学申し込みは「太極拳&みんなの掲示板」からどうぞ。
「還暦」 二巡目の世界
還暦(かんれき)。
十干十二支による60干支が一巡すること。
※十干・・・甲乙丙丁戊己庚申壬癸からなる
※十二支・・・子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥からなる
甲子から始まり癸亥で終わり、また始まる。
阿で開いた世界が、吽によって閉じていき、また開く。
還暦を迎えるということは、
一巡目の世界が終わり、二巡目の世界が始めるという事です。
もう一度、人生が始まるのです。それはプラスでもないマイナスでもない、二巡目です。
そして一巡した世界・・・つまり既に経験してきた出来事は起きる運命である為、
二巡目の世界では、未来の出来事があらかじめ起こる前に判る・・・かもしれません。
少なくとも、経験してきたことからあらかじめ起きることの予測ができるわけで、
「運命」に対して「覚悟」することができるのです。
時間は加速します。「精神」に宿る記憶がすべての事態を予測できるなら、
既に通り過ぎた出来事なら、さらに加速して通り過ぎてしまいます。
太極拳と同じです。先の先の先・・・。
「五行易」という易占法における生年月日判断において、人のタイムラインは
6つの項目に分けられ、60年を一区切りとします。ひとつめのタイムライン、
すなわち生まれてから10代の頃になります。還暦を過ぎて、またそこから
始まることになります。
易の観点から見ると人生は全生であって、余生や老後なんてありません。
「年だから」「老い先を考えると意味がない」そういったことをおっしゃる方も少なくありません。
無欲というか無気力になってしまう方もいます。
だからこそ、人としての根源である「欲」。それも目先、個人、見栄の「小欲」ならず、
社会貢献や後続にもつながる「大欲」をもって臨むべきでしょう。
「欲」と云うのはオソロシイもので、我が意に沿うものならば骨身を惜しまないものです(笑)。
内なる要求とでもいいましょうか、お腹が空いたから食べたくなる。
尿意を感じたのでトイレに行きたい。
生まれたら、ただ生きたい。
一方、友達とやる冬の登山は寒くないが、家のお使いに行かされるのは寒くてたまらない。
自分の要求で動かないとこんなものです。
生き物は自分で動きます。他の力ではありません。自分で動くのは要求を満たすため。
太極拳は体力と筋力がものをいうスポーツ、運動ではありません。
身体をあますところなく使って使って使いたおす方法やノウハウです。
まだ定員枠も少し残っておりますので、中高年の方もチャレンジしてみませんか?
お問い合わせや見学申し込みは「太極拳&みんなの掲示板」からどうぞ。
十干十二支による60干支が一巡すること。
※十干・・・甲乙丙丁戊己庚申壬癸からなる
※十二支・・・子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥からなる
甲子から始まり癸亥で終わり、また始まる。
阿で開いた世界が、吽によって閉じていき、また開く。
還暦を迎えるということは、
一巡目の世界が終わり、二巡目の世界が始めるという事です。
もう一度、人生が始まるのです。それはプラスでもないマイナスでもない、二巡目です。
そして一巡した世界・・・つまり既に経験してきた出来事は起きる運命である為、
二巡目の世界では、未来の出来事があらかじめ起こる前に判る・・・かもしれません。
少なくとも、経験してきたことからあらかじめ起きることの予測ができるわけで、
「運命」に対して「覚悟」することができるのです。
時間は加速します。「精神」に宿る記憶がすべての事態を予測できるなら、
既に通り過ぎた出来事なら、さらに加速して通り過ぎてしまいます。
太極拳と同じです。先の先の先・・・。
「五行易」という易占法における生年月日判断において、人のタイムラインは
6つの項目に分けられ、60年を一区切りとします。ひとつめのタイムライン、
すなわち生まれてから10代の頃になります。還暦を過ぎて、またそこから
始まることになります。
易の観点から見ると人生は全生であって、余生や老後なんてありません。
「年だから」「老い先を考えると意味がない」そういったことをおっしゃる方も少なくありません。
無欲というか無気力になってしまう方もいます。
だからこそ、人としての根源である「欲」。それも目先、個人、見栄の「小欲」ならず、
社会貢献や後続にもつながる「大欲」をもって臨むべきでしょう。
「欲」と云うのはオソロシイもので、我が意に沿うものならば骨身を惜しまないものです(笑)。
内なる要求とでもいいましょうか、お腹が空いたから食べたくなる。
尿意を感じたのでトイレに行きたい。
生まれたら、ただ生きたい。
一方、友達とやる冬の登山は寒くないが、家のお使いに行かされるのは寒くてたまらない。
自分の要求で動かないとこんなものです。
生き物は自分で動きます。他の力ではありません。自分で動くのは要求を満たすため。
太極拳は体力と筋力がものをいうスポーツ、運動ではありません。
身体をあますところなく使って使って使いたおす方法やノウハウです。
まだ定員枠も少し残っておりますので、中高年の方もチャレンジしてみませんか?
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2015年3月27日金曜日
独立歩
かなり乱暴に書いてしまうと「片足立ち」のことです。
ひとつの難関でもあります。
片足でグラグラ。まして足を上げるなんてとてもできない!・・・という感じです。
見落しがちなのですが、上げる足ばかりに気を取られてしまって支える足のことを
忘れていることが多いです。支える足に気を配っていれば、立つだけならそう
難しくはありません。
あと、脚を高く上げようとしないこと。
はっきりいって、見栄です、見栄。
ガチガチの動き方で、歯を食いしばって高く蹴ろうとしている場合もありますが、
体に悪いだけですからね。また、蹴り脚ばかりに気が行ってしまって骨盤が思い切り
傾いてしまったりしては意味がありません。
太極拳はご存じの通りゆっくりの動作です。勢いでごまかしができません。
ゆっくり上げて、ゆっくり下ろすという動作です。勢いと反動でエイヤッと
蹴られないので、余計に難しいと思います。
等速が約束の套路で「蹴り」だけパッとやるのは認めません(笑)。
さらに、太極拳的に高く足を上げてハイキックをするということは、柔軟性はもちろん
上げ下げする筋肉、持ち上げて維持する筋肉などが必要になりますから、
それはもう難しい難しい。
※上手い人は骨と筋でできるのでそこまで大変ではありませんが、到達するのが難しい。
姉弟子のようにローからハイ、前蹴り、下段蹴り、膝蹴りまであれこれ
「(楽しく)蹴りた~い」人はバシバシやってますが、普通はそこまでやらなくても問題ありません。
太極拳的に大事なのが独立歩、つまり片足立ちでバランスを取ることです。そして、
脚を高く上げる前に大事なのが膝を上げることです。
太極拳は技としてハイキックもミドルキックもありませんので、脚を高く上げる
必要がないのです。迂闊な蹴りは相手に取られてしまいます。
ただし、独立歩が太極拳の目的ではないことは申し上げておきます。
独立歩が技なのではなく、技を完成させるために片足立ちになる必要があります。
たとえば分脚、金鶏独立、退歩跨虎・・・いずれも独立歩または独立歩を伴う型。
そして、どんどんグラグラしてください。グラグラしている中でバランスを取り戻す
練習だと思って、恐れないでチャレンジしてください。日常だといつバランスを
崩すか分かりません。
また、実は上述の姉弟子のように何か蹴る対象、たとえば目の前に敵がいると
思って蹴ると不思議と安定することが多いように思います。これもまた太極拳の
武術性でしょう。基礎鍛錬ではこういう「仮想感覚」も地味にやっています。
脚を高く上げる必要はないと書きましたが、女性が脚をスラリと高く上げる様の
美しさを考えると、追求するのもむべなるかな。
太極拳だけでなく、八卦掌でもよく合いますね。
まずは基礎鍛錬、そして太極拳の型の動きで筋肉の無駄な力みを抜くことを覚えると
けっこう柔らかくなります。
ひとつの難関でもあります。
片足でグラグラ。まして足を上げるなんてとてもできない!・・・という感じです。
見落しがちなのですが、上げる足ばかりに気を取られてしまって支える足のことを
忘れていることが多いです。支える足に気を配っていれば、立つだけならそう
難しくはありません。
あと、脚を高く上げようとしないこと。
はっきりいって、見栄です、見栄。
ガチガチの動き方で、歯を食いしばって高く蹴ろうとしている場合もありますが、
体に悪いだけですからね。また、蹴り脚ばかりに気が行ってしまって骨盤が思い切り
傾いてしまったりしては意味がありません。
太極拳はご存じの通りゆっくりの動作です。勢いでごまかしができません。
ゆっくり上げて、ゆっくり下ろすという動作です。勢いと反動でエイヤッと
蹴られないので、余計に難しいと思います。
等速が約束の套路で「蹴り」だけパッとやるのは認めません(笑)。
さらに、太極拳的に高く足を上げてハイキックをするということは、柔軟性はもちろん
上げ下げする筋肉、持ち上げて維持する筋肉などが必要になりますから、
それはもう難しい難しい。
※上手い人は骨と筋でできるのでそこまで大変ではありませんが、到達するのが難しい。
姉弟子のようにローからハイ、前蹴り、下段蹴り、膝蹴りまであれこれ
「(楽しく)蹴りた~い」人はバシバシやってますが、普通はそこまでやらなくても問題ありません。
太極拳的に大事なのが独立歩、つまり片足立ちでバランスを取ることです。そして、
脚を高く上げる前に大事なのが膝を上げることです。
太極拳は技としてハイキックもミドルキックもありませんので、脚を高く上げる
必要がないのです。迂闊な蹴りは相手に取られてしまいます。
ただし、独立歩が太極拳の目的ではないことは申し上げておきます。
独立歩が技なのではなく、技を完成させるために片足立ちになる必要があります。
たとえば分脚、金鶏独立、退歩跨虎・・・いずれも独立歩または独立歩を伴う型。
そして、どんどんグラグラしてください。グラグラしている中でバランスを取り戻す
練習だと思って、恐れないでチャレンジしてください。日常だといつバランスを
崩すか分かりません。
また、実は上述の姉弟子のように何か蹴る対象、たとえば目の前に敵がいると
思って蹴ると不思議と安定することが多いように思います。これもまた太極拳の
武術性でしょう。基礎鍛錬ではこういう「仮想感覚」も地味にやっています。
脚を高く上げる必要はないと書きましたが、女性が脚をスラリと高く上げる様の
美しさを考えると、追求するのもむべなるかな。
太極拳だけでなく、八卦掌でもよく合いますね。
まずは基礎鍛錬、そして太極拳の型の動きで筋肉の無駄な力みを抜くことを覚えると
けっこう柔らかくなります。
2015年3月20日金曜日
太極拳の基本 攬雀尾(らんじゃくび)
新入会の会員さんたちに「攬雀尾(らんじゃくび)」を指導しました。
いきなり型の1番目から・・・というわけではなく、もっとも頻繁に出てくる型であり、
かつ太極拳の基本であるを攬雀尾の流れを学んでもらうのが目的です。
掤・捋・擠・按の動作から成ります。そこに採と挒を加えて合わせて6つの動作を
学習してもらいました。これがある程度できるようになれば、
皆で太極拳をする時に付いてくるのがかなり楽になります。
動作が小さく短いので自宅学習にも向いています。
そして師範の指示でを搬攔捶(はんらんすい)を追加しました。
一見すると普通のパンチのように見えるんですが、その実、パンチではありませんし、
また、突きだけに終わる型でもありません。
ただ、搬攔捶の型云々よりも最も理解してもらいたいのが、
まずは拳を「置く」ということ。当てるのではなく、「置く」こと。
太極拳では大事な要素ですが、実はこれがなかなか出来ないのです。
技巧的に難しいとか運動神経とか筋肉とかの問題ではなく、ついつい深層心理的に
まっすぐ腕を伸ばして突いてしまう。
一回二回程度では無理なので、このあたりを根気よくやってもらうことにしています。
人の性(さが)といいますか、どうしても「腕」でやりたくなってしまうんですよね。
なめらかな動作であったり、おさえこもうとする力の掛け方であったり。そうではなくて、
いかに身体の力を有効に使ってもらうか、そういう身体の動かし方にシフトしてもらうか、
が重要です。腕と身体、そして脚がつながれば、それだけで動きがきれいになります。
こうして新会員さんたちに攬雀尾の一通りを学んでもらいました。
攬雀尾をしている間はずっと三体式で立つので、それだけで十分に鍛錬になっています。
説明でどうしてもわかりにくいところは武術的用法を見せたり、軽く体験してもらったりしますが、
太極拳が武術であることに驚かれてしまうのはお約束。
そして、やはり人によって得意不得意がありますね。
不得意を直しつつ、得意な技を伸ばしていってほしいです。
余談ですが攬雀尾の雀は「孔雀(クジャク)」を指しているという説があるようです。
孔雀というと優雅さばかりが目立ちますが、その実は「毒蛇喰らい」の
猛々しい鳥です。サソリやヘビなどを平気で食べるところから邪気払いの象徴として
仏教系では「孔雀明王」の名で信仰に取り入れられたりもしています。
ギリシャ神話@女神ヘラのペットでもあります。
※お分かりの通り、「孔雀王」の話をし始めると長くなるんでこのくらいに(笑)
※※実はヘビやらサソリやらを喰う鳥はけっこういます。逆にクジャクは
ニラやネギ、タマネギも食う悪食っぷりを知って驚いたことがあります。
飼うのは餌に関しては楽そうですが、蹴爪がデカいんで蹴られると
かなり痛いようです。
孔雀のように、優雅さの中にも秘めた強さ・芯の強さを備えることが
求められているのかもしれません。
まだ会員枠はありますので、春からやってみたい方はお早めにお申し込みください。
見学・体験は随時受け付けておりますのでご遠慮なく。
いきなり型の1番目から・・・というわけではなく、もっとも頻繁に出てくる型であり、
かつ太極拳の基本であるを攬雀尾の流れを学んでもらうのが目的です。
掤・捋・擠・按の動作から成ります。そこに採と挒を加えて合わせて6つの動作を
学習してもらいました。これがある程度できるようになれば、
皆で太極拳をする時に付いてくるのがかなり楽になります。
動作が小さく短いので自宅学習にも向いています。
そして師範の指示でを搬攔捶(はんらんすい)を追加しました。
一見すると普通のパンチのように見えるんですが、その実、パンチではありませんし、
また、突きだけに終わる型でもありません。
ただ、搬攔捶の型云々よりも最も理解してもらいたいのが、
まずは拳を「置く」ということ。当てるのではなく、「置く」こと。
太極拳では大事な要素ですが、実はこれがなかなか出来ないのです。
技巧的に難しいとか運動神経とか筋肉とかの問題ではなく、ついつい深層心理的に
まっすぐ腕を伸ばして突いてしまう。
一回二回程度では無理なので、このあたりを根気よくやってもらうことにしています。
人の性(さが)といいますか、どうしても「腕」でやりたくなってしまうんですよね。
なめらかな動作であったり、おさえこもうとする力の掛け方であったり。そうではなくて、
いかに身体の力を有効に使ってもらうか、そういう身体の動かし方にシフトしてもらうか、
が重要です。腕と身体、そして脚がつながれば、それだけで動きがきれいになります。
こうして新会員さんたちに攬雀尾の一通りを学んでもらいました。
攬雀尾をしている間はずっと三体式で立つので、それだけで十分に鍛錬になっています。
説明でどうしてもわかりにくいところは武術的用法を見せたり、軽く体験してもらったりしますが、
太極拳が武術であることに驚かれてしまうのはお約束。
そして、やはり人によって得意不得意がありますね。
不得意を直しつつ、得意な技を伸ばしていってほしいです。
余談ですが攬雀尾の雀は「孔雀(クジャク)」を指しているという説があるようです。
孔雀というと優雅さばかりが目立ちますが、その実は「毒蛇喰らい」の
猛々しい鳥です。サソリやヘビなどを平気で食べるところから邪気払いの象徴として
仏教系では「孔雀明王」の名で信仰に取り入れられたりもしています。
ギリシャ神話@女神ヘラのペットでもあります。
※お分かりの通り、「孔雀王」の話をし始めると長くなるんでこのくらいに(笑)
※※実はヘビやらサソリやらを喰う鳥はけっこういます。逆にクジャクは
ニラやネギ、タマネギも食う悪食っぷりを知って驚いたことがあります。
飼うのは餌に関しては楽そうですが、蹴爪がデカいんで蹴られると
かなり痛いようです。
孔雀のように、優雅さの中にも秘めた強さ・芯の強さを備えることが
求められているのかもしれません。
まだ会員枠はありますので、春からやってみたい方はお早めにお申し込みください。
見学・体験は随時受け付けておりますのでご遠慮なく。
2015年3月17日火曜日
丹道
李老師の知人でもある「丹道」の胡坤壬老師が台湾から大阪に来られていました。
せっかくの機会でもあるので、丹道の講義に参加してきました。胡老師は日本語があまり得意ではなく、
李老師の通訳のもとで授業が進んでいきました。
丹道というのは、道教系仏教ともいうべき道義に基づいて「智慧を拓く道」を本題とします。そのための禅であり気功養生法であります。
智慧は仏教における様々の結果として得られた「悟り」のことで、また般若心経で有名な般若はサンスクリット語の漢語訳で、ほぼ同義です。
「性」「命」「心」「霊」を禅によって修めようというものであり、そして丹というのは心にも体にも効く「薬」であり、それを我が身に宿して練り上げる、
という具合にお考えください。さらに広く見ると世の中に対してのクスリ=文化といえます。
中国では伝統的に「性命双修」ということが言われており、「性」は、性質、本性として、それを養うとは精神性、人間性を磨くことになります。
「命」は、身体の健康です。「性命双修」とは、「性(人格)」にも「命(健康)」にも片寄らず、両方を並行して気功の修練を行っていくことを重要視します。
気功の修練の目的として、「悟り」があります。
※もっと簡単にいえば「心身の養生の道」でその道の先に悟りがありますよ、と。「悟り」なんて書くと大層な感じがしますが、
「自己発見」といいますか、固定観念や感情などを払しょくして真我や宇宙観に到達するということも含んでいると思います。
以下は私の憶測なので読み飛ばし推奨。
悟りを「大層に」「難しく」「考えてしまう」のもある意味、社会世間に「束縛」され「影響」を受けた結果に出た感情と云えます。
抱え込み、がんじがらめになった固定観念の鎖をほどいていく行程かもしれませんね。
座学では道義や概念、要訣などを教えてもらい、実技ではいわゆる座禅を習いました。
座禅といっても、日本のお寺でよくあるような感じではありません。寝ていたら肩をバシっとやられるとかはありません。
修行とイメージするほどのこともなく緩いのですが、その分、自己責任ですね。
みなで座禅をしますが、ちらっとみるとコックリコックリとしている人もいます。
寝てしまってはダメでそういう時は「さっさと寝る」とのこと(笑)。
また、意のよって気だの何だのを導くとか、そういうものでもありません。
まさに「無為」ですね。
太極拳に通じるものもあり、たいへん勉強になりました。
せっかくの機会でもあるので、丹道の講義に参加してきました。胡老師は日本語があまり得意ではなく、
李老師の通訳のもとで授業が進んでいきました。
丹道というのは、道教系仏教ともいうべき道義に基づいて「智慧を拓く道」を本題とします。そのための禅であり気功養生法であります。
智慧は仏教における様々の結果として得られた「悟り」のことで、また般若心経で有名な般若はサンスクリット語の漢語訳で、ほぼ同義です。
「性」「命」「心」「霊」を禅によって修めようというものであり、そして丹というのは心にも体にも効く「薬」であり、それを我が身に宿して練り上げる、
という具合にお考えください。さらに広く見ると世の中に対してのクスリ=文化といえます。
中国では伝統的に「性命双修」ということが言われており、「性」は、性質、本性として、それを養うとは精神性、人間性を磨くことになります。
「命」は、身体の健康です。「性命双修」とは、「性(人格)」にも「命(健康)」にも片寄らず、両方を並行して気功の修練を行っていくことを重要視します。
気功の修練の目的として、「悟り」があります。
※もっと簡単にいえば「心身の養生の道」でその道の先に悟りがありますよ、と。「悟り」なんて書くと大層な感じがしますが、
「自己発見」といいますか、固定観念や感情などを払しょくして真我や宇宙観に到達するということも含んでいると思います。
以下は私の憶測なので読み飛ばし推奨。
悟りを「大層に」「難しく」「考えてしまう」のもある意味、社会世間に「束縛」され「影響」を受けた結果に出た感情と云えます。
抱え込み、がんじがらめになった固定観念の鎖をほどいていく行程かもしれませんね。
座学では道義や概念、要訣などを教えてもらい、実技ではいわゆる座禅を習いました。
座禅といっても、日本のお寺でよくあるような感じではありません。寝ていたら肩をバシっとやられるとかはありません。
修行とイメージするほどのこともなく緩いのですが、その分、自己責任ですね。
みなで座禅をしますが、ちらっとみるとコックリコックリとしている人もいます。
寝てしまってはダメでそういう時は「さっさと寝る」とのこと(笑)。
また、意のよって気だの何だのを導くとか、そういうものでもありません。
まさに「無為」ですね。
太極拳に通じるものもあり、たいへん勉強になりました。
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