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中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2015年6月23日火曜日

美しき太極拳女子を応援します-05 美脚

6月も半ばを過ぎ、旧暦の5月に入りましたね。
旧暦5月は高温多湿の盛夏であり,伝染病や毒虫の害がはなはだしく,悪月とされた云われもあります。

22日は夏至なので、まさに「夏」の中の「夏」です。
旧暦の5月は「午月」でもありまして、「午」は十二支いうならば真南・火気の正位にして帝旺です。
要するに真っ盛りってことですね。

「夏至」を境にして、今まで陽に上っていたのが、陰に転じていく境目です。
7月下旬は暑いだけの下り坂の「夏」で、8月は残り物の夏です。



とはいえ、世間ではこれから来る夏に向けて、
女性誌やフィットネス誌にも「美脚」の二文字がさんさんと輝いております。

いかに脚を鍛えるかっ。美しくなるかっ。


先のブログでは「キックボクシング女子」と書きましたが、
モデルさんを中心に脚を激しく動かすタイプのフィットネスが支持されているようですね。
ストレス解消にもなるし、運動量も大きいし、利点が多そうです。
4月には元・ムエタイの日本人女性チャンピオンが「キクササイズ」のジムを東京に
オープンさせました。
また、スポクラの会社がアディダスと提携して、
“走らなくても走れる脚をつくる”プログラム『adidas gym&run』を拡大展開するようです。


本当に「脚技」は女性の特権です。




さて、「脚」というのは二足歩行の動物である我々にとって生命線です。
武術的に見るならば、攻めやすく守り難いところでしょう。
太腿だけじゃありません。内腿、膝、脛、足首、足指etc・・・。
そして、「足元がお留守になってますよ」ではありませんが、
意外に守りにくい。目が届きにくい、意識が行きにくい、バランスを崩しやすい。
当てやすいのです。


もっとも、これらは武術的な見解なので、そこまで気にする必要もないかもしれません。


そして、加齢による脚の機能の低下。特に骨盤・股関節の筋肉が弱ってくると大変ですね。
美容に関係する数々の雑誌やサイトで取り上げられているので割愛します。



李老師は「脚は手のように使い、手は脚のように使う」と云います。
手よりも仕事が2つほど多いのです。
それは「重心移動」と「身体を支える」ことです。

太極拳では蹴ったり歩いたりするだけでなく「気を通じさせる(意識を届かせる)」
練習・意識が加わりますので、そういう意味ではひと手間多くなってしまいます。
太極拳の型では前に出す脚は、常に変化することを念頭におきます。

前に出す脚は移動かもしれないし、攻撃になるかもしれない。
スッと受け流す動きになるかもしれないし、足の裏で受ける動きになるかもしれない。

繊細な脚の感覚と動かし方を習得します。

何も特別難しいことをするわけではありません。
「ゆっくり」と「丁寧」に「大きく」動かすことを心がけるのが基本になります。

ただ、これを心がけるとついついやってしまうのが「下を見る」こと。
逆に云うと「普段どれだけ脚の動かし方と感覚がいい加減か」の良い証拠です。
これも早々に卒業するように練習します。


モデル・タレントの「青野楓」



もちろん、物理的に動かす基礎である鼠径部・股関節もバッチリ練習します。
太極拳の脚技の基本は「膝を高く上げて、降ろすこと」。
足先じゃありません、まずは膝を上げること、です。
一見すると楽そうですが、太極拳的に上げるとなると予想以上にハードルが上がります。
(もちろん、段階に応じて、ですが)
膝を上げることに夢中になると軸足が疎かになります。忙しいですね。


そして、上げたものを下す。ドスンと落としては意味がありません。
自分の責任で、自分の力でゆっくりと下します。


一方で、「脚がここまで開く」とか「高く上がる」といった
可動範囲の柔軟性はあまり要求していないのですね。
あるに越したことはありませんが、少なくとも優先はしない。
太極拳には基本的にハイキックやミドルキックはありません。

とはいえ、蹴り技大好きK姐先生がA先生の指導を仰ぎつつ個人的に研究しているようです。
相手を崩してからの垂直蹴り上げは見事ですね。
もともと柔らかいこともあったのですが、膝の上げ方を工夫してから
威力が増してきたように思います。



先ずは内腿、腸腰筋などのインナーマッスルを鍛え、股関節周りの小さな筋肉をどこまで使えるようになるか、
連動させられるようになるか、が重要です。
骨盤底筋群も見落とせません(太極拳では常に意識しますが)。
ついつい膝が開いてしまうとだらしなく見えてしまいますからね。


また、隙を無くし無駄な動きを排し、重心を安定させるので、
なにより「足運び」が優雅に、美しくなります。




「剣」と「脚技」は女性に与えられたギフトですね。

※6/25 補足編を追加





うちの流儀にはハイキックがありませんが、女子研究会みたいなのはあります(笑)。


2015年6月20日土曜日

忠義を守り、国を守り、家族を守り

名前が残っている武将と云うのはもちろん武功もそうなんですが、
「忠義」や「仁義」を大事にすることが伴うと
ものすごく評価が高くなります。

戦国といえば「生き残る」ために主家を裏切るのはそう珍しくないことで
それだけに「義」を重んじることは難しく、また貴ばれたのだと思います。



忠義を守り、武人の誇りを守り、主家を守り、家族を守り抜いた
ひとりの武将を紹介しましょう。
まさに「武士の鑑」。こんな武士が日本にいてたのですね。



「高橋紹運(たかはしじょううん)/高橋鎮種(しげたね)」
1548 ~ 1586


「武士たる者、仁義を守らざるは鳥獣に異ならず候」


戦国時代末期、九州の豊後国(大分県)を本拠にし北部九州を支配した戦国大名・大友家の武将で、
筑前国の御笠郡(今の福岡県の太宰府一帯)を領していました。
世に「義将」として知られ、生涯を大友家に尽くした人物です。
薩摩の島津家に大敗して以来、凋落の一途をたどる大友家を見捨てず、
盟友・立花道雪と共に孤立する筑前で反・大友勢力を向こうに廻し奮戦します。

紹運の最後の戦いである「岩屋城の戦い」は、日本の戦国史に於いて最も苛烈な激戦といわれ、
豊臣秀吉の天下統一にも深い関わりを持ちます。


「岩屋城の戦い」の少し前、盟友であり、大友家の支柱でもあった立花道雪が陣中で病に没します。
それを契機として、天正14年(1586)、薩摩国の島津氏は、中央で勢力を増す豊臣秀吉の九州介入前に
九州制覇を成し遂げる為、北上を開始。その兵力は優に五万。総大将は島津忠長。


「寝てん覚めてん薩摩兵子(さつまへご)は突っ走ることしか頭ん無かぞ」by島津豊久(ドリフターズ)
というように、薩摩の兵士の精強ぶりはある意味異常です。

薩摩の兵はこんな人ばっかりです(笑)。
※島津豊久も関ヶ原の撤退戦時に、同じように身を挺して友軍を逃がしています。


対する最終防衛ラインである岩屋城に篭る紹運の兵力は僅かに763名、誰の目にも勝敗は決していたはず。
「岩屋城の戦い」はこうして始まりました。


一つは、岩屋城の背後に位置する立花山城には長男の統虎(立花宗茂)が籠って居る事。
もう一つは近隣の宝満城に紹運の妻や次男の高橋統増(後の直次)。
岩屋城から避難した女子供が籠って居る事。
そして島津軍にとって高橋紹運が無視できない武将であった事。
おそらく他の武将であれば素通りしていた可能性が高いでしょう。

老人に婦女子を避難させ、籠城に賛成しかねる者と一人っ子の者は退却させました。
家中の将士から離反者は一人も出ず、籠城作戦は始まりました。
およそ五十倍の敵兵を相手に、城兵は紹運の采配の許で一歩も引かず奮戦、昼夜を問わず激戦を展開しました。
その城に篭った僅かな城兵に対して、予想外の損害を受け、焦る島津氏。
再三に渡り紹運に有利な降伏及び和議を勧告しますが、紹運は拒絶します。


「主君が隆盛しているときは忠勤に励み、功名を競う者あろうとも、
主家が衰えたときには一命を掛けて尽くそうとする者は稀である。
貴方は島津の家が衰退したとき主家を捨てて命を惜しむのか。
武家に生まれた者として恩・仁義を忘れるものは鳥獣以下である」

と降伏勧告をはね除けて九州一の義理高さを見せつけ、半月の間徹底抗戦した末に763人全員が玉砕。
最後の白兵戦は紹運自ら大長刀を持ち十数人を討取ったとあります。


「紹運雄略絶倫、兵をあげて撃ち出し、薩軍破ること数回、殺傷甚だ多し」
と記録されています。

我が身の最期を悟った紹運は、敵の手にかからぬ内に引き上げ高櫓に登りました。
最期まで付き従った武士が館に火を放つかどうか問うと、

「その儀は無用である。首を取らせる事で、義を守って死した事がわかる。
死体が見えなければ、紹運が逃げ落ちた思われるであろう。
武士は屍を晒さぬものと言うが、それは死に場所による。敢えて首を取らせよ。」

そして自刃。享年39歳。
紹運に付き従ってきた将兵に誰一人として逃げ出した者、降伏した者はおらず、
城内に踏み込んできた島津方は凄惨なこの総自決を眼のあたりにして
声をあげることも出来ず、ただ足をすくませたといいます。

紹運の首は島津本陣に運ばれ首実検に饗された。
総大将である島津忠長は敵ながら見事と称賛をおしまず、
最高の軍礼をもって首実検を執り行いました。


この戦いで島津軍は戦死者3000余りという予想外の被害を被りました。
軍の再編成の時間をとられた上に、その後の立花山城戦では長男・立花宗茂の前に城を落とすことが出来ず、
豊臣秀吉の九州征伐軍の到来と共に退却する事となりました。


翌年、九州征伐により島津家を降伏させた秀吉は
「この乱れた下克上乱世で、紹運ほどの忠勇の士が九州にいたとは思わなかった」と
大宰府に立ち寄った際に高橋紹運主従の忠孝を称え、
紹運を『乱世の華』と深く彼の死を惜しんだと云われています。




さて、ちょっとだけ出てきた高橋紹運の長男の話です。
盟友・立花道雪の度重なる要請に折れ、長男・統虎(後の宗茂)を養子に出すのですが、
その際、
「道雪殿と父が争うことになったならこの刀で父を討て」と訓戒を示し、
一振りの脇差とともに養子に送り出したといいます。

「乱世の華」紹運の子として生まれ、「雷神」立花道雪の薫陶を受けた
彼こそが後に立花宗茂として、
「その忠義鎮西一、その剛勇また鎮西一」と秀吉に称されています。


また、こんなエピソードもあります。
高橋紹運が妻を娶る事が決まった際、連戦に次ぐ連戦で婚儀が延期に延期を重ねていた時。
この間に結婚相手が疱瘡を患い、容貌が醜くなってしまったと言う事で婚約を破棄する旨を伝えてきたが、

「私は彼女の容姿に惚れて婚約を決めたのではない、
心の優しさなど内面に惹かれて婚約を決めたのだから、容姿が変わろうとも問題はない」

この二人から生まれたのが立花宗茂・直次兄弟です。
弟の直次もまた豪勇で知られた猛者です。





ちなみに、子孫のひとりに第92代内閣総理大臣・麻生太郎がいてます。





参考動画。
「戦国無双」シリーズというゲームで、多少登場人物などが異なりますが、
流れを知るにはうってつけかと思います。


00:00~03:30
15:30~ラスト
が、ストーリー部分となります。


2015年6月17日水曜日

歩き方と不整地

二足歩行。ヒトがヒトたる由縁のひとつ。

二足歩行というのは、「移動手段」という位相においては、
人類学者のオーウェン・ラヴジョイ曰く、

「実に馬鹿げた移動方法」


危機に際して素早く動くというだけならゴリラやシンパンジー等に見られるような
ナックル・ウォークの方が数段優れているでしょう。



そんな二足歩行のメリットとは何か。
いろいろあります。ひとつあげるとすれば「道具」が使えることがその最たる
ものではないでしょうか。


※宇宙世紀史上初の汎用人型兵器であるザクシリーズですが、
実は「宇宙空間」及びコロニー内での疑似重力下での運用が初期の前提で、
四肢は工作作業とともに宇宙空間での
AMBAC(システム) [Active Mass Balance Auto Control(System)] 
「能動的質量移動による自然姿勢制御」
の採用によるものです。四肢を工作作業兼攻撃用兼制御装置
として活用したものといえるでしょう。

どこかから引用。
AMBACは概念としては難解なものに思えるが、原理そのものは単純であり、我々が日常的かつ無意識に体験していることである。我々が重力下で(宇宙空間でもかまわない)体のバランスを崩したとしよう。例えば片足で立っているときや、綱渡りをしているときなどである。その時我々は、全く無意識のうちに両腕を広げ、あちこちに向けたり振り回したりしてバランスを取り戻そうとする。これがAMBACであり、MSも腕や脚を使って同じ事を行う(もちろん、重力下でも)。

健常な人間はこれをほとんど意識せずに行うが、それは赤ん坊の這い這いに始まり、やがて2本の足で歩けるようになる過程で自然に習得していくものである。しかしこれを機械に実行させることが如何に困難であるかは容易に想像できるだろう。MS-01で初めてAMBACを実用化したジオニック社は、実質的にMSという兵器そのものを発明したことになる。

「動的バランス制御」という概念においては「システマ」も同様といえるでしょうか。



前置きはこのくらいにして、「ウォーキング」ほどではないですが、歩きに行きました。
求めるものは速さでもなく、距離でもない。
太極拳的な身体の使い方を検証するような歩き方ですね。

なので遅いんですよ(笑)。
ウォーキングの主なスタイルは手を振ってやや大股でシャカシャカ歩く、
そんな感じです。まさに正反対。



極端に云うと、太極拳は歩いていません。
脚が左右に入れ替わっているだけです。
地面を蹴らないし、身体を倒して反射的に脚が出るように
仕向けている訳でもありません。

約束事としては、
地面はとにかく蹴らない。
足は平行に。
掌は地面に向けて。
膝を使わず、大腿部(股関節~丹田)をメインに。
そして「慣性」を利用しない。スピードを出してしまうとそれを利用してしまいますからね。

あとは、前傾しないこと。

だいたいこれらを守りながら歩いていました。
もちろん途中でいろいろとパターンを変えながら歩きます。

周辺視野のトレーニングも忘れません。


途中で歩きながら短めの棒などを軽く振ってみたのですが、これはダメかもしれません。
下半身に意識が行かなくなります。
きちんと太極拳的な身体の使い方が成されていれば問題ないですが、
今の段階ではまだまだでしょうね。
どれだけ動いていない部分に活を入れるかですから。






そしてもうひとつ。不整地での練習です。
不整地と云うのはデコボコしている地面のことです。

足元がいつも平坦とは限らない・・・・ということです。
そこでどう歩くか・・・です。
(こんなところを好き好んで歩く人間はいませんわな)

山やらを走るのはトレイルランニングがありますが、そこまで走り込む
わけではありません。

ただ実際問題として、災害時などには足元が不整地になる可能性は大なので、
そういう心掛けはあった方がいいかもしれません。

また、靴の性能も大きく反映してきます。


今回は低い突起突きコンクリート張りで、
ところどころに草が生えている不整地でやってみました。
さすがに転がる受け身でもこれはキツイ。

普通に歩くと、たしかに歩きにくいです。
上下動が激しくなり、ついつい地面を見てしまい、首や上体が前傾。
軽い眼精疲労や首や肩に凝りが出てきます。もちろん時につまづきます。

では、さらに膝を使わず、股関節をもっと使って・・・と
意識してみると多少マシになりました。
足首の力を抜くと良いのですが、ふくらはぎがパンパンになってきます。


結論から言うと一番具合が良かったのは形意拳の歩法です。
何も考えずに形意拳の五行拳をしてみたら、ほとんどつまずかず、
ひっかからずに移動できました。ちょっと勢いをつけてやってみてもあまり問題なく。
この程度の不整地だったら、足元を気にせずに戦えます。

泥濘や砂利道などではどうなるかわかりませんけどね。


なお、八卦掌は微妙でした。これはまだ鍛錬が足らないせいかと思います。



平坦な道では膝はほとんど意識しないと思います。
膝の使い方といいますか、膝を中心に歩かないということが大事ですね。
膝関節については直角に曲げ伸ばしすることが基本の関節なので、
クッションやコントロールポイントではあるかもしれませんが、動力源ではありません。


あと、股関節(鼠径部)を使うとけっこう疲労感や筋肉の痛みが出てくることがあり、
これでついつい止めてしまう人が多いんじゃないかな?と。


「痛み」は切っても切り離せないもので、時には避けて通れないこともあるのですが、
説明はたいへん難しいです。

太極拳の功夫における「痛み」の問題もありますが、これはまたの機会に。