トップ画像

トップ画像
中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2015年6月17日水曜日

歩き方と不整地

二足歩行。ヒトがヒトたる由縁のひとつ。

二足歩行というのは、「移動手段」という位相においては、
人類学者のオーウェン・ラヴジョイ曰く、

「実に馬鹿げた移動方法」


危機に際して素早く動くというだけならゴリラやシンパンジー等に見られるような
ナックル・ウォークの方が数段優れているでしょう。



そんな二足歩行のメリットとは何か。
いろいろあります。ひとつあげるとすれば「道具」が使えることがその最たる
ものではないでしょうか。


※宇宙世紀史上初の汎用人型兵器であるザクシリーズですが、
実は「宇宙空間」及びコロニー内での疑似重力下での運用が初期の前提で、
四肢は工作作業とともに宇宙空間での
AMBAC(システム) [Active Mass Balance Auto Control(System)] 
「能動的質量移動による自然姿勢制御」
の採用によるものです。四肢を工作作業兼攻撃用兼制御装置
として活用したものといえるでしょう。

どこかから引用。
AMBACは概念としては難解なものに思えるが、原理そのものは単純であり、我々が日常的かつ無意識に体験していることである。我々が重力下で(宇宙空間でもかまわない)体のバランスを崩したとしよう。例えば片足で立っているときや、綱渡りをしているときなどである。その時我々は、全く無意識のうちに両腕を広げ、あちこちに向けたり振り回したりしてバランスを取り戻そうとする。これがAMBACであり、MSも腕や脚を使って同じ事を行う(もちろん、重力下でも)。

健常な人間はこれをほとんど意識せずに行うが、それは赤ん坊の這い這いに始まり、やがて2本の足で歩けるようになる過程で自然に習得していくものである。しかしこれを機械に実行させることが如何に困難であるかは容易に想像できるだろう。MS-01で初めてAMBACを実用化したジオニック社は、実質的にMSという兵器そのものを発明したことになる。

「動的バランス制御」という概念においては「システマ」も同様といえるでしょうか。



前置きはこのくらいにして、「ウォーキング」ほどではないですが、歩きに行きました。
求めるものは速さでもなく、距離でもない。
太極拳的な身体の使い方を検証するような歩き方ですね。

なので遅いんですよ(笑)。
ウォーキングの主なスタイルは手を振ってやや大股でシャカシャカ歩く、
そんな感じです。まさに正反対。



極端に云うと、太極拳は歩いていません。
脚が左右に入れ替わっているだけです。
地面を蹴らないし、身体を倒して反射的に脚が出るように
仕向けている訳でもありません。

約束事としては、
地面はとにかく蹴らない。
足は平行に。
掌は地面に向けて。
膝を使わず、大腿部(股関節~丹田)をメインに。
そして「慣性」を利用しない。スピードを出してしまうとそれを利用してしまいますからね。

あとは、前傾しないこと。

だいたいこれらを守りながら歩いていました。
もちろん途中でいろいろとパターンを変えながら歩きます。

周辺視野のトレーニングも忘れません。


途中で歩きながら短めの棒などを軽く振ってみたのですが、これはダメかもしれません。
下半身に意識が行かなくなります。
きちんと太極拳的な身体の使い方が成されていれば問題ないですが、
今の段階ではまだまだでしょうね。
どれだけ動いていない部分に活を入れるかですから。






そしてもうひとつ。不整地での練習です。
不整地と云うのはデコボコしている地面のことです。

足元がいつも平坦とは限らない・・・・ということです。
そこでどう歩くか・・・です。
(こんなところを好き好んで歩く人間はいませんわな)

山やらを走るのはトレイルランニングがありますが、そこまで走り込む
わけではありません。

ただ実際問題として、災害時などには足元が不整地になる可能性は大なので、
そういう心掛けはあった方がいいかもしれません。

また、靴の性能も大きく反映してきます。


今回は低い突起突きコンクリート張りで、
ところどころに草が生えている不整地でやってみました。
さすがに転がる受け身でもこれはキツイ。

普通に歩くと、たしかに歩きにくいです。
上下動が激しくなり、ついつい地面を見てしまい、首や上体が前傾。
軽い眼精疲労や首や肩に凝りが出てきます。もちろん時につまづきます。

では、さらに膝を使わず、股関節をもっと使って・・・と
意識してみると多少マシになりました。
足首の力を抜くと良いのですが、ふくらはぎがパンパンになってきます。


結論から言うと一番具合が良かったのは形意拳の歩法です。
何も考えずに形意拳の五行拳をしてみたら、ほとんどつまずかず、
ひっかからずに移動できました。ちょっと勢いをつけてやってみてもあまり問題なく。
この程度の不整地だったら、足元を気にせずに戦えます。

泥濘や砂利道などではどうなるかわかりませんけどね。


なお、八卦掌は微妙でした。これはまだ鍛錬が足らないせいかと思います。



平坦な道では膝はほとんど意識しないと思います。
膝の使い方といいますか、膝を中心に歩かないということが大事ですね。
膝関節については直角に曲げ伸ばしすることが基本の関節なので、
クッションやコントロールポイントではあるかもしれませんが、動力源ではありません。


あと、股関節(鼠径部)を使うとけっこう疲労感や筋肉の痛みが出てくることがあり、
これでついつい止めてしまう人が多いんじゃないかな?と。


「痛み」は切っても切り離せないもので、時には避けて通れないこともあるのですが、
説明はたいへん難しいです。

太極拳の功夫における「痛み」の問題もありますが、これはまたの機会に。


2015年6月14日日曜日

あなたに似合う柔道の技


あなたに似合う柔道の技を見てみましょう。
10個の質問に答えて発見!

・・・というのがありましたのでぜひやってみてください。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

裏投げ、朽木倒し☆いろいろなやり方で、ポイント!「あなたに似合う柔道の技は?」

この診断では、そんな柔道の技のなかから、あなたの性格に一番似合う技を占うことができます。
柔道に興味がある人はぜ、ひ試してみてくださいね!
大技決めて、目指せ一本☆


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


ちなみに私は『一本背負い』でした。『空気投げ』じゃないのか・・・。


出た技をぜひ教室でA先生やT先生に聞いてみてください。
(全部が全部ではないですが)太極拳風にアレンジして教えてくれますよ。



おまけ。

探偵!ナイトスクープ 「無敗の柔道チャンピオン?」


持ち前のフィジカルと運動神経で柔道に挑むが秒殺。
柔道の技を特訓して再戦しますが・・・!

2015年6月13日土曜日

「キングダム」外伝(笑)

たまにはこういう話もいかがかと思いまして。


先日放送した「アメトーーク」のキングダム芸人はちょっとステマ過ぎて
あまり面白くなかったです。


大人気「キングダム」ですが、嫪毐(ろうあい)軍が敗北し、連座で呂不韋の失墜と相成りました。
そして反乱に加担していた樊於期(はんおき)将軍が逃亡します。
これが新たな幕開けなんですね。

キングダムはキングダムであくまでも作者の「オリジナル」なので、史実に忠実に展開するかどうかは
わかりません。ただ、主人公である信は「李信」がモデルであるとガイドブックで言及されているようです。

実は私も本作を断片的にしか読んでないんですよね。
「東周英雄伝」と横光の「史記」「項羽と劉邦」はしっかり読んでおりましたが。

興味をもったのは「刎頸の交わり」で有名な廉頗(れんぱ)が出てきたのがきっかけです。
藺相如(りんしょうじょ)亡き後の老将の活躍を見ておりました。



さて、この反乱の後に秦王・政が大いに感銘を受けたというあの「韓非子」の韓非と接見するのですが、
李斯が謀殺してしまいます。
自分より出来る人物が登場した(と思った)ので、自分の立場の危うさを感じたためですね。
この因果か、あの李牧すら謀略で退けたはずの李斯ですが、始皇帝の死をきっかけに、
身分も何もかも低く見ていた趙高に手玉に取られた挙句、謀殺されてしまいます。




逃亡した樊於期は燕国に亡命します。
燕国は秦の圧迫から起死回生を狙うべく秦王・政暗殺計画を企画します。
首謀者は燕国太子・丹。丹はかつて政と同じく人質時代を過ごしていたのですが、
時が二人を分かち、大国となった秦王・政に丹は「小国」と侮られたことも大きいです。
そこで刺客を送るという一計を案じ、派遣されたのが「史記・刺客列伝」でも名高い荊軻(けいか)。
読書と剣術を修行し、若くして諸国を放浪して遊説術を学んでいた人物です。
※当時、何らかの武術的なものがあったようですが、明確な記録はほとんど残っていません。
※やはり文が優位であることと、戦場では遊牧民族から取り入れた「騎射」が花形・主力であるためでしょう。
 
 

その荊軻が秦王政を信用させる手段として割譲する土地と樊於期の首が必要と提案し、
樊於期もそれに同意して自害します。


荊軻は土地の地図と樊於期の首をもって秦・咸陽を目指します。
この時にお共に連れていた小僧がまたとんでもない役立たずなんですね。
人を殺したことが自慢の田舎者で、実際は秦王・政の前でガクブルしてひれ伏していただけの存在。
二人掛かりで政を襲撃していたら、歴史は変わったかもしれません。
荊軻も「役に立たない」と云ったのですが、依頼主でもある燕国太子が推してきたので断り切れなかったことと、
荊軻が待っていた旧友が期日に間に合わなかったことが原因です。
(燕国太子が「はよ行け」とせかしたらしいですが)

荊軻の眼鏡にかなうその人物が誰か? 明らかにはなっていません。
とうぜん武器をもって謁見できないため地図に毒を塗った匕首を忍ばせ、油断したところを
一突きにする作戦ですが、残念ながら失敗に終わります。

荊軻は斬殺。そして後に燕国は信を中心に攻め滅ぼされることになります。
荊軻は強大な国の王に対して、心意気一つで立ち向かった義士と言うことで人気は高いです。

さて、燕国の前に秦王・政は韓・魏・趙を滅ぼします。
主人公である信たちが大活躍します。


韓滅亡⇒若き日の「張良」が逃亡。秦の滅亡フラグですね。

張良は始皇帝暗殺を実行しますが失敗して再び逃亡。
後に劉邦に仕えることになります。最高の知略の臣として「王佐の才」の代名詞に。


この頃、劉邦はたぶんフラフラしていたと思います。
地元の侠客(半分やくざの木端役人)ですから。




魏滅亡→張耳が逃亡。
この人もまた劉邦陣営に加わった人ですね。
作中にも名前だけ出ていますが、魏には戦国四君子のひとり「信陵君無忌」という超絶イケてる将軍がいたのですが、
晩年は兄王の嫌疑が原因で隠遁生活。作中では既に亡くなっています。
張耳は食客の一人だったこともありましたが、信陵君の晩年だったせいもあり特に活躍もありません。
魏ではそこそこ有名な名士だったようで、劉邦がフラフラと「あんたのとこの食客にしてほしい」と来たこともありました。

ただ、魏が滅亡し、秦から懸賞金をかけられてしまいます。
秦は信陵君にドエライ目に遭わされているので、その息のかかった人物は許せないのでしょうか。

逃亡先では名前を変えて隠棲し、後に反乱軍陣営、独立して敗走し、劉邦のもとへやってきます。



さて、主人公である信ですが、いちおう「李信」がモデルと云われています。
信は蒙恬といっしょに後に楚へ20万の軍勢を率いて出兵し、
あの項羽のおじいさん@項燕と戦って負けてしまいます。
「歴史的大敗退」をやらかしますが、後に復帰します。
そのかわりに派遣されてきたのが「勝てない戦には興味が無い」王翦将軍ですね。


紀元前238年の反乱鎮圧から統一事業を始めて、紀元前221年の斉滅亡で中華統一になります。
信と蒙恬、王賁で斉を攻め落としてしまいます。これが三人でやる最後の大仕事になりますでしょうか。
この頃、既に信の部隊には章邯(しょうかん)がいると思います。
情報参謀として有能で、後に独立して将軍となっています。
信の志を受け継いだ章邯はまさに秦国最後の将軍として始皇帝亡き後の秦を支え、項羽と戦い抜きます。
力及ばず項羽に降った後は左遷された劉邦の監視役となり、中央への道を塞ぐ形で太守に任命されます。
そして力を付けて中央に戻ろうとする劉邦と戦い敗死するという数奇な運命を辿ります。


蒙恬は秦の統一後、中華民族の天敵である北方遊牧民・匈奴討伐でオルドス戦役などで武功を上げます。
政の長男の後見人にもなるのですが・・・・超高と彼に操られる李斯によって
自害に追い込まれてしまいます。

王賁の子・王離は秦滅亡を食い止めるべく項羽と戦いますが、残念ながら敗北してしまいます。
その後の消息は不明。子孫が王氏なので、ひょっとしたらあの王元姫(晋・司馬炎の母)もその血筋の末端
なのではないかと思いましたが、違うようです。

信の子孫は・・・・・・優れているが不遇な名将を生み出す家系なのか、
李広(前漢の将軍。匈奴征伐に功あり名声も高いのだが・・・いろいろあって自害)
李陵(その孫。匈奴征伐に功あり・・・・・いろいろありすぎて匈奴に寝返る)
がいてます。
また、一説には大唐帝国の高祖・李淵は李信の子孫でもある
隴西李氏の流れを汲んでいる、と云われています。

かの李白もそのようです。

ちなみに中国では「匈奴(北方遊牧民)に強い」というのはものすごいステータスですね。
あの「岳飛」も北方遊牧民族には強かったですから。
中国史上では文化度が最高クラスの「宋」時代で、しかも救国の英雄ということで、
中国人の人気が高いのもうなずけます。
(御多聞にもれず、悲運の将です)


始皇帝である秦王・政亡き後、実は6か月足らずで帝国は崩壊しているんですよね。
世界初の農民反乱といわれる陳勝・呉広の乱です。
長きにわたる春秋戦国時代を経て統一に至ったわけですから、
統一後の内政のノウハウなどあるわけありません。
また「秦」自体も、どちらかといえば中央から外れたところにある国で、
民俗風習も中央とちょっと違っていたようですから。


紀元前206年、秦滅亡。
そして、項羽と劉邦の登場になり、「漢楚の戦い」に至ります。