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中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2013年5月30日木曜日

中央式太極拳の来歴

 世の中にはたくさんの太極拳の流派があります。太極拳の祖とよばれる陳式をはじめ、楊式、孫式などの五大流派、制定24式、88式etc・・・。その数ある中で「中央式」について説明します。


 今からおよそ80年前、当時の中華民国には「南京中央国術館」という政府による武術・体術の研究機関があり、政府の命を受けた副館長の陳ハン嶺によって「双辺太極拳(※1)」が編纂されました。それは太極拳諸流派や他の拳法を研究し、軍や国民の実用・体育に向けて統合・統一された一套の太極拳でした。今でいうところの「古伝統合型太極拳」の源流でもあります。


 
 
 
 第二次大戦後、国民党とともに台湾に渡った陳ハン嶺は、中華民国時代、師兄弟であった王樹金と再会し、技術交流が始まりました。王樹金は陳ハン嶺に太極拳を学びながら、形意拳・八卦掌の大家として意見を出し、陳ハン嶺の「中華国術教材」の完成に寄与しました。その時に学び、王樹金独自の工夫を重ねた「王樹金の太極拳(※2)」が「中央式」の原型となりました。



 
 
 王樹金は「誠明国術館(現・中華武術国際誠明総会)」を設立して後進の育成に力を注ぐともに、国民党・蒋介石の要請により、文化特使として1958年に初来日。公式に初めて中国武術の教授を行いました(※3)。その時に伝えられた「王樹金の太極拳」を日本では「正宗太極拳(※4)」と広く呼ばれています。

 

 
その王樹金の晩年の弟子として李鴻儒が入門しました。王樹金が高齢だったため、多くは兄弟子の王福来(嫡流・誠明太極拳の後継者)に教わりました。修行を終えた李鴻儒は水墨画の風格と筆勢、台湾の易経大学で学んだ理論を太極拳に融合させ、「中央式太極拳」として独自の流派を確立させるに至りました。
 
李鴻儒老師(1980年代に来日)

東西南北のすべて、あらゆるものをつなぐ「中央」。また「中央」は五行で言う土気(※5)にあたり、土はすべてを生み支えるもの、そして回帰するものであるもの。心身がどこにも偏らない、中庸の体現としての「中央」。流儀の源流として「南京中央国術館」の「中央」・・・中央式太極拳にはそういった意味が込められています。



********

※1・・・当時、陳ハン嶺は特に流儀名を名乗らなかったため、伝授者によって名称がさまざまである。双辺太極拳をはじめ、南京中央国術館式、99式などがある。

※2・・・王樹金も特に名称をなのらなかった。後継者である王福来により「誠明太極拳」と呼称されるようになる。

※3・・。日本からの招聘依頼があった際、蒋介石が陳ハン嶺に相談したところ王樹金の名前があがった。国家代表の武術家として派遣する以上、負けることは許されない。事実、王樹金は国内外で数多の挑戦者を退けている。

※4・・・日本だけの名称である。「正宗」とは「正統なる」「真に正しい」などの意味があり、また王樹金も自称したことはない。1960年当時、中華人共和国と日本の国交はなく、おそらく「大陸(共産党)」の国家制定式に対する国民党の揶揄だと思われる。
「大陸は文化大革命によりあらゆる文化を失ったが台湾にはまだ残っている」ということか?
事実、陳式太極拳の嫡流が獄中死により途絶え、また多くの武術家は隠遁してしまった。


※5・・・東が木気、南が火気、西が金気、北が水気。また、各季節の狭間が土気(土用)にあたる。

 
 

中央式太極拳の来歴

 世の中にはたくさんの太極拳の流派があります。太極拳の祖とよばれる陳式をはじめ、楊式、孫式などの五大流派、制定24式、88式etc・・・。その数ある中で「中央式」について説明します。


 今からおよそ80年前、当時の中華民国には「南京中央国術館」という政府による武術・体術の研究機関があり、政府の命を受けた副館長の陳ハン嶺によって「双辺太極拳(※1)」が編纂されました。それは太極拳諸流派や他の拳法を研究し、軍や国民の実用・体育に向けて統合・統一された一套の太極拳でした。今でいうところの「古伝統合型太極拳」の源流でもあります。


 
 
 
 第二次大戦後、国民党とともに台湾に渡った陳ハン嶺は、中華民国時代、師兄弟であった王樹金と再会し、技術交流が始まりました。王樹金は陳ハン嶺に太極拳を学びながら、形意拳・八卦掌の大家として意見を出し、陳ハン嶺の「中華国術教材」の完成に寄与しました。その時に学び、王樹金独自の工夫を重ねた「王樹金の太極拳(※2)」が「中央式」の原型となりました。



 
 
 王樹金は「誠明国術館(現・中華武術国際誠明総会)」を設立して後進の育成に力を注ぐともに、国民党・蒋介石の要請により、文化特使として1958年に初来日。公式に初めて中国武術の教授を行いました(※3)。その時に伝えられた「王樹金の太極拳」を日本では「正宗太極拳(※4)」と広く呼ばれています。

 

 
その王樹金の晩年の弟子として李鴻儒が入門しました。王樹金が高齢だったため、多くは兄弟子の王福来(嫡流・誠明太極拳の後継者)に教わりました。修行を終えた李鴻儒は水墨画の風格と筆勢、台湾の易経大学で学んだ理論を太極拳に融合させ、「中央式太極拳」として独自の流派を確立させるに至りました。
 
李鴻儒老師(1980年代に来日)

東西南北のすべて、あらゆるものをつなぐ「中央」。また「中央」は五行で言う土気(※5)にあたり、土はすべてを生み支えるもの、そして回帰するものであるもの。心身がどこにも偏らない、中庸の体現としての「中央」。流儀の源流として「南京中央国術館」の「中央」・・・中央式太極拳にはそういった意味が込められています。



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※1・・・当時、陳ハン嶺は特に流儀名を名乗らなかったため、伝授者によって名称がさまざまである。双辺太極拳をはじめ、南京中央国術館式、99式などがある。

※2・・・王樹金も特に名称をなのらなかった。後継者である王福来により「誠明太極拳」と呼称されるようになる。

※3・・。日本からの招聘依頼があった際、蒋介石が陳ハン嶺に相談したところ王樹金の名前があがった。国家代表の武術家として派遣する以上、負けることは許されない。事実、王樹金は国内外で数多の挑戦者を退けている。

※4・・・日本だけの名称である。「正宗」とは「正統なる」「真に正しい」などの意味があり、また王樹金も自称したことはない。1960年当時、中華人共和国と日本の国交はなく、おそらく「大陸(共産党)」の国家制定式に対する国民党の揶揄だと思われる。
「大陸は文化大革命によりあらゆる文化を失ったが台湾にはまだ残っている」ということか?
事実、陳式太極拳の嫡流が獄中死により途絶え、また多くの武術家は隠遁してしまった。


※5・・・東が木気、南が火気、西が金気、北が水気。また、各季節の狭間が土気(土用)にあたる。

 
 

2012年8月28日火曜日

テスト投稿02

蔵元さんのおっしゃっていた意味がわかりました。
機能が多すぎてよく分かりません。


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4月投稿分の再掲載です。



余談ですが、「佐川男子」という言葉がありますが、
佐川の持つ「いい加減、荒っぽい、むちゃくちゃ、ブラック」という
イメージを払拭するためのマスコミ利用のいわゆる「ステマ」だと思います(笑)。


佐川と法人契約している通販会社は業者は多いですからね。安いから。

昔に比べれば多少マシになりましたけど。


しかし、「情」に訴えかける方法というのはあqwせdrftghyじゅいこlp;@・・・。





「太極拳」が「ラジオ体操」にならないために。



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どうして力んでしまうのか?

浅野さん、蔵元さん、小林さんは別として、基本的に私も含めて皆さんはガチガチだと思います。
(私は違うゾ!という人がいたらスミマセン)

私も肩甲骨・胸周りが硬いと言われて散々ストレッチして可動域を物理的に増やしてみましたが、相手に触れた途端、あるいは武器を持った途端、ガッチガチでした。
自覚症状がない分、タチが悪いです。


固まる、力を入れるというのは、基本的に生体的な防御反応なので当たり前と言えば当たり前なのです。あるいは、満足感や実行感を得るためのてっとり早い手段です。
力をこめて殴った方が「殴った感」がありますし、ギュウギュウに力をいれて動いたほうが「運動した感」があります。
ストレス解消になるひとつの方法として否定はしません。


そういう意味において、力を抜くと言うのは非日常です。
ただ、太極拳などの武術、技芸の世界ではその「非日常」を「日常」に持ってくる・取り込むのが主眼なわけです。
音楽でもそうです。ピアノなどでもどれだけ指と肩の力を抜くかが分かれ目になってきます。


自戒をこめて書きますが、太極拳の形も力んでしていてはラジオ体操の方がまだマシなわけです。



さて、力みの原因として。

1、ボディバランスが悪い。
頭の位置、腰の位置etcetc・・・・姿勢が傾いていたりするとそれを支えるために余分な筋力が必要となる。
倒れようとしている柱を筋肉と言うロープで引っ張って支える羽目になる。


2、恐怖心
技術がわからない、または失敗への恐れなど、そのような不安からむやみに攻撃的になったり、ディフェンシブになったりして力む。生体的な防御反応ともいえる。


3、周囲に合わせることばかりに神経がいっている
自己の喪失、あるいはルーチンワーク化。
周りの動きや音楽のテンポなどに追随させることに注意がいってしまって、反射神経と筋肉の瞬発力ばかりを駆使してしまう。
ちなみに、上述の動き方だと、神経伝達速度の限界で0.5秒ほど動きが必ず遅れてしまいます。



武術、伝統芸能、ダンス、整体など、あらゆる技芸で「力を抜け」と指導されるのは「ダラッとする」のではなく「無駄な力を入れない」ことと考えています。


言い換えれば「力まない」ことであり、力んでいるかどうかの一つの目安となるのが「呼吸」です。
多くの場合、止まっているか、あるいは浅くなっているか、でしょう。


※これは音楽太極拳の弊害のひとつとも思えます。
物事にはメリットだけでなくデメリットも存在するという意味であり、否定ではありません。
音楽に主導をとられてしまってその追随となり(合わせることが主となり)、自分のの呼吸リズムを忘れてしまう。
もちろん、周囲や音と推手的な感じで合わせられる、またはその意識があるのなら問題はありません。
反面、ダンスは自分のリズムではなく楽曲のリズムに合わせることが絶対に求められますが、「どんな曲であっても」合わせられる(乗る)というのが前提。



もし「呼吸」を止めていたり、詰まってしまうようなら、その動作はおそらく力んでいると思います。

見方を変えれば「呼吸」を止めないことが力みの解消となる方法のひとつだと考えます。



そして、もうひとつ大事なのが「視線」。
うつむき加減だったり、凝視していたり、眼球ばかりをキョロキョロ動かしたりしていると頭部や頚部の不安定(軸のブレ)や無用な力みにつながります。とりわけ、眼と頸の関係性は大きいと思われます。

目をつぶることは気持ちのリラックスにつながりますが、気がつかないうちにアゴを引きすぎてしまったり、バランスが狂ってしまったりします。
人間は多くの部分、観ながらバランスを保持しています。


また、これは推測の域を出ませんが、目をつぶることで小脳ばかりを働かせてしまって大脳基底核の鍛練にならないと考えます。


小脳・・・随意運動や姿勢の保持。一般的な運動学習機能はこちら。

大脳基底核・・・意思的あるいは記憶的な行動の実行のための背景を形作る姿勢、運動の調整。大脳の皮質を通してのみつながっており、感覚神経とは直接のつながりをもたないのが特徴。また、眼球の制御にも関わっているとされている。

スポーツ的な運動ではなく、「意念」を重要視する武術や伝統芸能では大脳基底核をより機能させることが求められるのではないかと思われます。
(小脳との連携は当然あります)