映画「グランドマスター」
数ヶ月前の映画になりますが、私たちの武術で2種類も重なっているので、
武術格闘映画のつもりで見に行きました。
映画では八卦掌(はっけしょう)、形意拳(けいいけん)と太極拳ではなく、
詠春拳(えいしゅんけん)でしたが、興味深く鑑賞できました。
そして、2回も見ました。
チャンツィーの華麗な八卦掌もさることながら、心が折れた彼女が、
強がって言った言葉「悔いのない人生は味気ない」に、心を打ち砕かれました。
2回目は余裕で見ましたが、ボロボロ泣いて観ている女性がいました。
チャンツィーが毛皮コートを着て、弟子を連れて登場するシーンもかっこよすぎ。
この言葉が、ずっと残っています。・・・今頃書くなと非難浴びそうです。
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A先生の投稿をこちらにも転載しました。(A先生語録)
「悔いのない人生は味気ない」
深みのある言葉です。
失敗をし、損をつかみ、後悔にまみれ、傷つき、上手くいかないことがある、人生。
普通ならば、後悔の無いように、悔いの無いように・・・と云う人も多いでしょう。
ところが。
これが行き過ぎると「後悔の無い事」に「執着」が芽生えてしまうのです。心が囚われてしまうのです。何事においても後悔しないこと、悔いのないことばかりをめざし、またそういう結果を強く望んでしまうのです。
後悔しないがいつのまにか失敗しない、損をしない、そういうことにすり替わってしまっている気がします。得ることばかりに気が行って、「後悔しない」というのは得られなかった時の言い訳に使われてしまっています。
本来的には「後悔のないこと」とは物事に執着せず、いかなる結果であっても
「それも仕方がない」くらいの心構え。
これはしかし、自分の逃げる心やあきらめではありません。逆に、武士のような潔さと、思い切り、真剣さ、時には自分の命懸けを内に秘めた「仕方がない」なのです。
だからこそ「悔いのない人生はつまらない」のです。
これは「本来無一物」という言葉に近いものを感じます。
それは死を基準に人生を考えているのです。
ところが現代の多くの場合は、長生きの幸か不幸か、「老後」に基準が置かれた価値判断、行動がなされています。
老後は今より体力は衰え、記憶力も弱くなり、仕事も失うかもしれません。
老後のために、ある程度の貯金が必要になるのも間違いありません。一見すると、至極まっとうな考え方ですが、「老後」に照準を合わせると、ほぼ必ず、保守的な生き方になります。
危険を冒さない代わりに貯金には必死になります。
そして大なり小なり冒険をしなくなります。冒険をしなくなるため、同じ毎日の繰り返しになり、刺激も感動も少なくなります。出不精になり、さらに無難な選択ばかりを選ぶようになります。
より老化が加速するのです。
病気の話と悪口、孫の話で毎日が終わります。
誰でも、いつか、どこかで死を迎えます。
「悔いのない人生は味気ない」とは、潔さやある種の深い覚悟を内包したすばらしい文言だと思います。
よしあしハ 目鼻口からでるものか