題字

題字 李鴻儒

トップ画像

トップ画像
太極とは 未だ天地分れざる前、元気、混じて一と為るをいう。

太極拳教室 TAICHI-LESSON

中央式太極拳@なんば教室のサイトへようこそ。

中央式太極拳では、太極拳と気功養生法を中心に形意拳や八卦掌も弊習します。

一人ひとりの個性・体質を重視する伝統的な教授法に、現代のライフスタイルに合わせた太極拳健康法を学んでみませんか


英語

The Central style Tai Chi method at NAMBA crass room.The tai chi chuan & Qigong descended from GrandMaster Wang Shu Jin.

2015年7月23日木曜日

今日は「大暑」


※画像借りものです。
獅子噛(しがみ)です。うちの地域の旧バージョン。

泉大津では「鬼熊」だそうで。


20日は夏祭りでした。いわゆる「えべっさんのだんじり」。
勇壮な岸和田のだんじりとは全然異なっておとなしいものですが、
それでも轟音を響かせて道を通る威容は良いものです。
数少ない不良系の若者のハレの場でもあるわけですが、とうぜん神事としての側面もあり、
夏祭りは大きく「祇園祭に由来するもの」と「夏越しの神事に由来するもの」の2つに大別されます。
こちらの地域のものは「祇園系」で疫病除けですね。


だんじりの彫り物は「大坂夏の陣」が多いです。
単に武者が寄り集まっているだけと思っていませんか?
じつは「天王寺口の戦い」「八尾の戦い」といった場所別に
区分があるのです。

下記、参照。

http://blogs.yahoo.co.jp/gkrgd678/folder/1555131.html?m=lc

ここの彫り物はなかなか細かい。
まだまだ木が新しいので落ち着きませんが、時代がついてくると
もっとよくなってくると思います。
ただ、木彫りは昭和初期に比べても概して浅い。
ケチったのか、目もあっさり塗っただけ。

もちろんうちの地域の物も一新した際にかなり浅く、荒くなってしまいました。
もともとは昭和7年の作で、夏の陣と冬の陣の合作。





ちょうど日を同じくして「夏の土用入り」でした。
ただいま土用の真っ最中。
どういうことかわかりますか?
土用は季節の転換期。つまり・・・

・・・・・もう夏が終わろうとしているんですよっ。



旧暦人間しかわからないネタですみません。

なんだかんだで遷移を重ねてきた中央式太極拳なんば教室。病院や美容室などとも違い、「お習い事」としてしまえばなかなか贅沢な世界です。
健康になりたい、強くなりたい、痩せたい、美しくなりたいという前向きな気持ちが起き、条件(経済、健康、家庭環境など)が揃わないと来てもらえない環境です。
今の時代、強くなりたければ総合格闘技かシステマがありますし、健康とステータス性ならヨガ系統でしょう。
ジョギングにフリークライミング、フットサルに自転車、本当にいろいろあります。

そんな中で伝統的太極拳&養生法をチョイスするという・・・!
本当の「ゆっくり」に驚き、型があってないようなもので戸惑い、なぜか立たされる(立禅)ことが多いという。
疑問符がつきながらついてきていただけるおかげさまで成り立っております。

会としてもすべからく「当たり前」の意識を無くさねばなりません。
もちろん、自分も太極拳の練習ができて、さらに教えてもらえるという自身の「当たり前」の脱却も必要ですね。


さて。

心が老いている人は「昔話」ばかりします。
心が若々しい人は「これからの話」をします。


「私が若いころは、もっとできた。」
「昔は楽しかった」


せめて心は若々しくいたいと願うならば、当然、過去の話はしないことです。
そして心は見た目に反映します。

過去は過ぎてしまったこと。二度と戻ってくることはありません。
昔話をする、回想する余力があるなら、そのパワーをこれからのことを考えることに使うのが
若くいるためのコツですね。


そして、「そんな年じゃないから」という言葉。
「そんな年」とは、どんな年でしょうか。

この言葉は、人生の中で言ってはいけない言葉のひとつだと思います。
もちろん「言霊」にも関係しています。
そんな言霊を吐いてしまうと、自分がすでに「老いてしまっている」と
認めることになってしまいます。

本人は他者からの否定を待っているのかもしれません。
「まだ大丈夫」と言ってもらいたいのかもしれません。
しかし、言ってもらおうと欲している時点でもう既に老いているのです。

といって、老いは生老病死というように、自然の摂理。
老いを忌避するわけでもなく、若さに執着するわけでもない。
今の、現在の自分を直視し、自分のスタンスで挑戦してみる智慧の見せ所です。
持ち前の・・・だった体力に頼れば、あるいは過去の経験に頼ってばかりでは
「年だから」と云い訳がでるのです。


人生に余生も老後もありません。
全生です。