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中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2015年3月30日月曜日

「還暦」  二巡目の世界

還暦(かんれき)。




十干十二支による60干支が一巡すること。
※十干・・・甲乙丙丁戊己庚申壬癸からなる
※十二支・・・子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥からなる




甲子から始まり癸亥で終わり、また始まる。


阿で開いた世界が、吽によって閉じていき、また開く。








還暦を迎えるということは、

一巡目の世界が終わり、二巡目の世界が始めるという事です。
  


もう一度、人生が始まるのです。それはプラスでもないマイナスでもない、二巡目です。


そして一巡した世界・・・つまり既に経験してきた出来事は起きる運命である為、
二巡目の世界では、未来の出来事があらかじめ起こる前に判る・・・かもしれません。

少なくとも、経験してきたことからあらかじめ起きることの予測ができるわけで、
「運命」に対して「覚悟」することができるのです。


時間は加速します。「精神」に宿る記憶がすべての事態を予測できるなら、
既に通り過ぎた出来事なら、さらに加速して通り過ぎてしまいます。


太極拳と同じです。先の先の先・・・。










「五行易」という易占法における生年月日判断において、人のタイムラインは
6つの項目に分けられ、60年を一区切りとします。ひとつめのタイムライン、
すなわち生まれてから10代の頃になります。還暦を過ぎて、またそこから
始まることになります。
易の観点から見ると人生は全生であって、余生や老後なんてありません。






「年だから」「老い先を考えると意味がない」そういったことをおっしゃる方も少なくありません。
無欲というか無気力になってしまう方もいます。
だからこそ、人としての根源である「欲」。それも目先、個人、見栄の「小欲」ならず、
社会貢献や後続にもつながる「大欲」をもって臨むべきでしょう。




「欲」と云うのはオソロシイもので、我が意に沿うものならば骨身を惜しまないものです(笑)。
内なる要求とでもいいましょうか、お腹が空いたから食べたくなる。
尿意を感じたのでトイレに行きたい。
生まれたら、ただ生きたい。


一方、友達とやる冬の登山は寒くないが、家のお使いに行かされるのは寒くてたまらない。
自分の要求で動かないとこんなものです。


生き物は自分で動きます。他の力ではありません。自分で動くのは要求を満たすため。




太極拳は体力と筋力がものをいうスポーツ、運動ではありません。
身体をあますところなく使って使って使いたおす方法やノウハウです。






まだ定員枠も少し残っておりますので、中高年の方もチャレンジしてみませんか?
お問い合わせや見学申し込みは「太極拳&みんなの掲示板」からどうぞ。

















「還暦」  二巡目の世界

還暦(かんれき)。




十干十二支による60干支が一巡すること。
※十干・・・甲乙丙丁戊己庚申壬癸からなる
※十二支・・・子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥からなる




甲子から始まり癸亥で終わり、また始まる。


阿で開いた世界が、吽によって閉じていき、また開く。








還暦を迎えるということは、

一巡目の世界が終わり、二巡目の世界が始めるという事です。
  


もう一度、人生が始まるのです。それはプラスでもないマイナスでもない、二巡目です。


そして一巡した世界・・・つまり既に経験してきた出来事は起きる運命である為、
二巡目の世界では、未来の出来事があらかじめ起こる前に判る・・・かもしれません。

少なくとも、経験してきたことからあらかじめ起きることの予測ができるわけで、
「運命」に対して「覚悟」することができるのです。


時間は加速します。「精神」に宿る記憶がすべての事態を予測できるなら、
既に通り過ぎた出来事なら、さらに加速して通り過ぎてしまいます。


太極拳と同じです。先の先の先・・・。










「五行易」という易占法における生年月日判断において、人のタイムラインは
6つの項目に分けられ、60年を一区切りとします。ひとつめのタイムライン、
すなわち生まれてから10代の頃になります。還暦を過ぎて、またそこから
始まることになります。
易の観点から見ると人生は全生であって、余生や老後なんてありません。






「年だから」「老い先を考えると意味がない」そういったことをおっしゃる方も少なくありません。
無欲というか無気力になってしまう方もいます。
だからこそ、人としての根源である「欲」。それも目先、個人、見栄の「小欲」ならず、
社会貢献や後続にもつながる「大欲」をもって臨むべきでしょう。




「欲」と云うのはオソロシイもので、我が意に沿うものならば骨身を惜しまないものです(笑)。
内なる要求とでもいいましょうか、お腹が空いたから食べたくなる。
尿意を感じたのでトイレに行きたい。
生まれたら、ただ生きたい。


一方、友達とやる冬の登山は寒くないが、家のお使いに行かされるのは寒くてたまらない。
自分の要求で動かないとこんなものです。


生き物は自分で動きます。他の力ではありません。自分で動くのは要求を満たすため。




太極拳は体力と筋力がものをいうスポーツ、運動ではありません。
身体をあますところなく使って使って使いたおす方法やノウハウです。






まだ定員枠も少し残っておりますので、中高年の方もチャレンジしてみませんか?
お問い合わせや見学申し込みは「太極拳&みんなの掲示板」からどうぞ。

















2015年3月27日金曜日

独立歩

かなり乱暴に書いてしまうと「片足立ち」のことです。






ひとつの難関でもあります。
片足でグラグラ。まして足を上げるなんてとてもできない!・・・という感じです。








見落しがちなのですが、上げる足ばかりに気を取られてしまって支える足のことを
忘れていることが多いです。支える足に気を配っていれば、立つだけならそう
難しくはありません。




あと、脚を高く上げようとしないこと。
はっきりいって、見栄です、見栄。
ガチガチの動き方で、歯を食いしばって高く蹴ろうとしている場合もありますが、
体に悪いだけですからね。また、蹴り脚ばかりに気が行ってしまって骨盤が思い切り
傾いてしまったりしては意味がありません。




太極拳はご存じの通りゆっくりの動作です。勢いでごまかしができません。
ゆっくり上げて、ゆっくり下ろすという動作です。勢いと反動でエイヤッと
蹴られないので、余計に難しいと思います。
等速が約束の套路で「蹴り」だけパッとやるのは認めません(笑)。




さらに、太極拳的に高く足を上げてハイキックをするということは、柔軟性はもちろん
上げ下げする筋肉、持ち上げて維持する筋肉などが必要になりますから、
それはもう難しい難しい。
※上手い人は骨と筋でできるのでそこまで大変ではありませんが、到達するのが難しい。


姉弟子のようにローからハイ、前蹴り、下段蹴り、膝蹴りまであれこれ
「(楽しく)蹴りた~い」人はバシバシやってますが、普通はそこまでやらなくても問題ありません。












太極拳的に大事なのが独立歩、つまり片足立ちでバランスを取ることです。そして、
脚を高く上げる前に大事なのが膝を上げることです。


太極拳は技としてハイキックもミドルキックもありませんので、脚を高く上げる
必要がないのです。迂闊な蹴りは相手に取られてしまいます。




ただし、独立歩が太極拳の目的ではないことは申し上げておきます。
独立歩が技なのではなく、技を完成させるために片足立ちになる必要があります。
たとえば分脚、金鶏独立、退歩跨虎・・・いずれも独立歩または独立歩を伴う型。
そして、どんどんグラグラしてください。グラグラしている中でバランスを取り戻す
練習だと思って、恐れないでチャレンジしてください。日常だといつバランスを
崩すか分かりません。




また、実は上述の姉弟子のように何か蹴る対象、たとえば目の前に敵がいると
思って蹴ると不思議と安定することが多いように思います。これもまた太極拳の
武術性でしょう。基礎鍛錬ではこういう「仮想感覚」も地味にやっています。




脚を高く上げる必要はないと書きましたが、女性が脚をスラリと高く上げる様の
美しさを考えると、追求するのもむべなるかな。
太極拳だけでなく、八卦掌でもよく合いますね。


まずは基礎鍛錬、そして太極拳の型の動きで筋肉の無駄な力みを抜くことを覚えると
けっこう柔らかくなります。