太極拳のコツと云いますか、気でも身体操作でも呼吸でも、その「理」を教えるためには、どうしても武の側面から解説したり、見本をみせたり、あるいは対人をもって体感したりしてもらう必要があります。
※対練はお互いを傷めるものでも優劣をつけるものでもありません
また教室ではほとんどの場合、対練はお約束練習しかしません
手品感覚です(笑)。
授業の中で、「武」という言葉を出したり、そちらにウエイトが傾いてしまうと、眉をひそめる人も少なからずいます。野蛮、暴力的、感情的なイメージが湧くのではないで
しょうか。
しかし、「武」と云うのはそれらから最も遠いところにあるものです。武の根本である「争わざるの理」は、大きく見れば国家の保全、君主の功業。
小さく見れば我々の日常生活や人間関係にこそ生かされるものです。
○体において:隙や無駄のない立ち居振る舞い。転びにくい歩き方。免疫力、回復力のある体。
○心において:恐怖や不安を克服する。自分に負けない。他への思いやり。
他の存在を認めつつも、それに影響されない自分。
ビビってもいい。それに心が捉われなければ、という感じです。
「武徳」という言葉があります。
これは中国の古典である『春秋左氏伝』に出てくる言葉で、君主の徳を表現したものです。
武に七つの徳あり
=「禁暴」、「戢(ゆう)兵」、「保大」、「定功」、「安民」、「和衆」、「豊財」。
一、暴を禁ず ……… むやみな暴力を禁じる
二、兵を収(おさ)む ……… 武器をしまう
三、大を保つ ……… 国の威勢を大きいままに保つ
四、功(こう)を定む ……… 君主としての功あるように励む
五、民を安んず ……… 民心を安定させる
六、衆を和(やわ)らぐ ……… 大衆を仲良くさせる
七.財を豊かにする ………経済を発展させる
また、これらは将軍家剣術指南役である柳生宗矩のいうところの「大の兵法」であり、戦場での兵士の働きは「小の兵法」であり、まして日常の喧嘩で勝つとかわがままを通すというのは「匹夫の剣」に他なりません。
そして合氣道の創始者:植芝盛平翁の言葉ですが、
『正勝吾勝(まさかつあかつ)』 つまり、まず自分に勝ってこそ正義に勝つ、こと。
「争う心が起きたときには、すでに自分に負けてしまっている」。