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中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2016年2月22日月曜日

[ 武徳 ] 太極拳が太極「拳」である以上、

太極拳って、太極「拳」である以上、「武術」なのです。





太極拳のコツと云いますか、気でも身体操作でも呼吸でも、その「理」を教えるためには、どうしても武の側面から解説したり、見本をみせたり、あるいは対人をもって体感したりしてもらう必要があります。

※対練はお互いを傷めるものでも優劣をつけるものでもありません
また教室ではほとんどの場合、対練はお約束練習しかしません
手品感覚です(笑)。

 
 

授業の中で、「武」という言葉を出したり、そちらにウエイトが傾いてしまうと、眉をひそめる人も少なからずいます。野蛮、暴力的、感情的なイメージが湧くのではないで しょうか。


しかし、「武」と云うのはそれらから最も遠いところにあるものです。武の根本である「争わざるの理」は、大きく見れば国家の保全、君主の功業。 小さく見れば我々の日常生活や人間関係にこそ生かされるものです。



○体において:隙や無駄のない立ち居振る舞い。転びにくい歩き方。免疫力、回復力のある体。

武というのは「身体操作」「身体の気血の健康さ」が重要です。


○心において:恐怖や不安を克服する。自分に負けない。他への思いやり。

他の存在を認めつつも、それに影響されない自分。
ビビってもいい。それに心が捉われなければ、という感じです。
 









「武徳」という言葉があります。

これは中国の古典である『春秋左氏伝』に出てくる言葉で、君主の徳を表現したものです。

武に七つの徳あり
 =「禁暴」、「戢(ゆう)兵」、「保大」、「定功」、「安民」、「和衆」、「豊財」。


一、暴を禁ず ……… むやみな暴力を禁じる
二、兵を収(おさ)む ……… 武器をしまう
三、大を保つ ……… 国の威勢を大きいままに保つ
四、功(こう)を定む ……… 君主としての功あるように励む
五、民を安んず ……… 民心を安定させる
六、衆を和(やわ)らぐ ……… 大衆を仲良くさせる
七.財を豊かにする ………経済を発展させる


有名な京都の「武徳殿」もここに由来します。





また、これらは将軍家剣術指南役である柳生宗矩のいうところの「大の兵法」であり、戦場での兵士の働きは「小の兵法」であり、まして日常の喧嘩で勝つとかわがままを通すというのは「匹夫の剣」に他なりません。


 









そして合氣道の創始者:植芝盛平翁の言葉ですが、
『正勝吾勝(まさかつあかつ)』 つまり、まず自分に勝ってこそ正義に勝つ、こと。
「争う心が起きたときには、すでに自分に負けてしまっている」。





2016年2月18日木曜日

運動不足は脳の委縮につながる?

暦の上では春なのですが、まだまだ寒い時期です。

春から始める新しい事、お探しでしたら太極拳はお勧めです。



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脳の萎縮予防、中年期の運動が決め手に 米調査


 CNN) 中年期の運動能力の低さと、年を取ってからの脳の萎縮には関係があるという調査結果が、このほど神経学会誌のオンライン版に発表された。

脳は年を取ると萎縮して認知機能を低下させ、認知症につながることもある。しかし研究チームによれば、運動によって脳の萎縮や認知機能の低下を食い止められる可能性があるという。


(中略)

米ボストン大学などの研究チームは、認知症や心疾患のない平均年齢40歳の約1500人にランニングマシンで運動してもらうテストを実施し、20年後に再度テストを行って、脳の状態を磁気共鳴断層撮影(MRI)装置で調べた。

その結果、20年後、ランニングマシンの運動成績が良くなかった人は、脳が萎縮していることが分かった。

(中略)

ボストン大学医学部のニコール・スパルタノ氏は今回の研究結果について、特に心疾患を持つ人にとっては脳の加齢を防ぐために運動が大切なことを物語っていると解説する。脳の健康のためには中年期の運動が大切だと同氏は説き、「運動をすれば血流が増え、より多くの酸素が脳に運ばれて、年を取ってからの認知力の低下を防げるかもしれない」と話している。


 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160216-35077942-cnn-int


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いきなりコレです。



脳の萎縮は不可逆ですから怖いものです。


考察と興味。
精神的・肉体的な適度なストレス(≒外的刺激)。
血流量、感覚神経。

他にもいろいろあるでしょうが、こういった事柄が関係しているような気もします。


好奇心と興味、知的な刺激とともに、肉体的な刺激も必要なのです。




「武術」であり「動禅」でもあり「養生法」でもある太極拳ならば、

「武術」は呼吸、身体操作、人間関係(対人距離)、戦略的思考を養い、
「動禅」は自己の内在を探求し、人生を哲学します。
「養生法」は気血などの循環と排出(デトックス)を促進し、健康の恒常性を
保ちます。


脳だけでなく全身の細胞をくまなくフル活用しますので、萎縮なんて
している暇など与えません(笑)。


中高年の人にはけっこうな負担になるようですが、
単純に「上手くできないな」という思いが良い刺激になります。

それ自体が日常生活とは異なる新しい「ストレス(≒外的刺激)」となり、
また上達のための考察を大なり小なり自ずとしますので
習慣化して惰性でやっているだけということがなくなります。




と書いてきましたが、
実際の稽古中の指導は「感じて!感じて!」の方が圧倒的に多いのですけどね。



「じゃあ、一体何をどう感じるねん?」

そういう疑問(ストレス)も誰もが必ず通る道。それもまた無駄ではないのです。




2016年1月25日月曜日

何の目的も持たずに行う行為

それを「無為」という。


目的を持たない無私の行為は「無執着」とも言える。


老子では、
「道常無為、而無不為」


(道は常に何事もなさないが、それでいて全てを成し遂げている)


健康のために、長生きのために、美容のために、少しでも強くなるために、習い事をするために、人と話したいためにetc・・・・。