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中央式太極拳は南京中央国術館副館長【陳冸嶺老師】により編纂された南京中央国術館正宗太極拳
を起源とする、古式総合太極拳です。
気の武術の奥義は、これ即ち 健康長寿の奥義。
今日、太極拳の医学的健康効果は多くの医学論文で実証されてます。
先ずは気を感じる事から始め、自身の免疫力、自然治癒力を高めましょう。

2013年5月30日木曜日

太極拳の目的  



※過去掲載分の加筆・修正です。




太極拳をする際に必ず通過する道であります。
「どうして力んでしまうのか?」


基本的に私も含めて皆さんはガチガチだと思います。
体の物理的な柔軟性とはまた意味が異なり、ハイキックができても動き自体が固ければまったく意味がありません。私も肩甲骨・胸周りが硬いと言われて散々ストレッチして可動域を物理的に増やしてみましたが、相手に触れた途端、あるいは武器を持った途端、ガッチガチでした。
自覚症状がない分、タチが悪いです。


固まる、力を入れるというのは、基本的に生体的な防御反応なので当たり前と言えば当たり前なのです。あるいは、満足感や実行感を得るためのてっとり早い手段です。
力をこめて殴った方が「殴った感」がありますし、ギュウギュウに力をいれて動いたほうが「運動した感」があります。
ストレス解消になるひとつの方法として否定はしません。



そういう意味において、「力を抜く」と言うのは非日常です。
ただ、太極拳などの武術、技芸の世界ではその「非日常」を「日常」に持ってくる・取り込むのが主眼なわけです。音楽でもそうです。ピアノなどでもどれだけ指と肩の力を抜くかが分かれ目になってきます。トップクラスのバイオリニストにしても小さな楽器に対して体全体でしなやかに演奏していますよね。


自戒をこめて書きますが、太極拳の形も力んでいてはラジオ体操の方がまだマシなわけです。
やればやるほど体を壊す太極拳になりかねません。

180度開脚ができるほどの柔らかさをもっていても、動いてしまえばガチガチ。とっさの時にもガチガチに硬直・・・・になってしまっていては意味がないのです。




さて、力みの原因として。

1、ボディバランスが悪い。
頭の位置、腰の位置etcetc・・・・姿勢が傾いていたりするとそれを支えるために余分な筋力が必要となる。
倒れようとしている柱を筋肉と言うロープで引っ張って支える羽目になる。


2、恐怖心
技術がわからない、または失敗への恐れなど、そのような不安からむやみに攻撃的になったり、ディフェンシブになったりして力む。生体的な防御反応ともいえる。


3、周囲に合わせることばかりに神経がいっている
自己の喪失、あるいはルーチンワーク化。
周りの動きや音楽のテンポなどに追随させることに注意がいってしまって、反射神経と筋肉の瞬発力ばかりを駆使してしまう。
ちなみに、上述の動き方だと、神経伝達速度の限界で0.5秒ほど動きが必ず遅れてしまいます。



武術、伝統芸能、ダンス、整体など、あらゆる技芸で「力を抜け」と指導されるのは「ダラッとする」のではなく「無駄な力を入れない」ことと考えています。


言い換えれば「力まない」ことであり、力んでいるかどうかの一つの目安となるのが「呼吸」です。
多くの場合、止まっているか、あるいは浅くなっているか、でしょう。


※これは音楽太極拳の弊害のひとつとも思えます。
物事にはメリットだけでなくデメリットも存在するという意味であり、否定ではありません。
音楽に主導をとられてしまってその追随となり(合わせることが主となり)、自分の呼吸リズムを忘れてしまう。もちろん、周囲や音と推手的な感じで合わせられる、またはその意識があるのなら問題はありません。
反面、ダンスは自分のリズムではなく楽曲のリズムに合わせることが絶対に求められますが、「どんな曲であっても」合わせられる(乗る)というのが前提。



もし「呼吸」を止めていたり、詰まってしまうようなら、その動作はおそらく力んでいると思います。

見方を変えれば「呼吸」を止めないことが力みの解消となる方法のひとつだと考えます。



そして、もうひとつ大事なのが「視線」。
うつむき加減だったり、凝視していたり、眼球ばかりをキョロキョロ動かしたりしていると頭部や頚部の不安定(軸のブレ)や無用な力みにつながります。とりわけ、眼と頸の関係性は大きいと思われます。

目をつぶることは気持ちのリラックスにつながりますが、気がつかないうちにアゴを引きすぎてしまったり、バランスが狂ってしまったりします。
人間は多くの部分、観ながらバランスを保持しています。



また、これは推測の域を出ませんが、目をつぶることで小脳ばかりを働かせてしまって大脳基底核の鍛練にならないと考えます。


小脳・・・随意運動や姿勢の保持。一般的な運動学習機能はこちら。

大脳基底核・・・意思的あるいは記憶的な行動の実行のための背景を形作る姿勢、運動の調整。大脳の皮質を通してのみつながっており、感覚神経とは直接のつながりをもたないのが特徴。また、眼球の制御にも関わっているとされている。

スポーツ的な運動ではなく、「意念」を重要視する武術や伝統芸能では大脳基底核をより機能させることが求められるのではないかと思われます。
(小脳との連携は当然あります)





こんなの難しい! できない!
・・・ということは絶対にありません。なぜなら、

・人の多い駅などで携帯を見ながら歩く
・自転車やクルマに乗りながら携帯を見たり通話する
・子供を三人のせて商店街を自転車で駆け抜ける

基本的に進められる行為ではありませんが、コレができるなら太極拳だって楽勝です。

自転車を乗る際にはバランス感覚が必要で、しかも足を動かして漕いで前進しています。さらに目は前方や周囲を注視しながら聴覚は相手と会話しているのです。複数の同時並行作業であり、一歩間違えば怪我します。どれだけ脳神経のメモリを使っているんでしょうか。誰かにコツとか教えてもらいましたか?



難しいとか易しいとか「意識していないこと」と、移動しながら誰かさんと会話したいという「強い欲求」による原動力がそれを可能にさせているのです。まさに自然にできているわけです。







少し専門的になりますが、「推手」という感覚中心の対練があります。相手の力の方向などを知覚する練習です。でも、これがなかなか難しい。

兄弟子はいいました。
「自転車やクルマを運転していると、ハンドル越しに小石がわかるでしょ? 基本は同じ」


小石だけでなく、路面状況、エンジンの具合もわかります。それなのになぜ推手となるとダメなのか・・・・。先述の「意識しないこと」と「(安全運転などの)欲求」も当然ですが、他人との強制的な近距離による「対人緊張の発生」があるのだと思います。
それは「競争や勝ち負け」だったり、「適切距離の侵害」だったり、「恐怖心」やら何やら・・・・人の数だけ理由があるでしょう。






このように、皆、基本的にほとんどのことは出来るのですが、出来なくしているのは自分自身なのです。体の柔らかさよりも心と精神の柔らかさこそが上達には欠かせないと思います。





 


力が抜けていれば、形は間違っていてもいいよ
                                 by宗師 李鴻儒